日めくりプロ野球 2011年10月

【10月7日】1951年(昭26) 大下弘、2年連続首位打者確定!脅威の3割8分3厘

[ 2011年10月7日 06:00 ]

東急時代の大下。2年連続首位打者の翌年に大騒動の末、西鉄に移籍した

 【大映9―7東急】2リーグ分裂後、2年目のパ・リーグの全日程が終了した。順位、各タイトルホルダーも決定し、リーグ6位に終わった東急フライヤーズ(後の日本ハム)の3番・大下弘中堅手は前年に続き、首位打者と本塁打王に輝いた。

 打率は3割8分3分というハイアベレージで本塁打は26本。打率にいたっては2位の蔭山和夫内野手(南海)の3割1分5厘を寄せ付けず、ぶっちぎりのリーディングヒッターだった。

 大下が残した高打率、実は70年(昭45)に東映・張本勲外野手が3割8分3厘4毛をマークし、大下に3毛差をつけて抜くまでの19年間プロ野球最高打率だった。天才打者といわれた大下の名前を名実ともに証明する数字がこのハイアベレージだった。

 この年、セ・リーグでは巨人の川上哲治一塁手が好調で、3割7分7厘で首位打者となった。戦後間もなく「赤バットの川上、青バットの大下」のキャッチフレーズで、今日のプロ野球の隆盛の起爆剤となった2人がリーグこそ違え、対抗意識を燃やし、しのぎを削ったことが2人の好成績につながった。

 開幕直後の4月は大下が4割を記録、川上は3割2厘だったが、6月に川上が月間3割9分で追い上げ、3割4分1厘に。大下の3割4分8厘に迫った。

 川上は7月に打ちまくり、3割5分2厘にすると、大下の3割4分6厘を抜いたが、川上は7月末からけがで11試合欠場。一番当たっていた時期だけ痛かった。

 一方の大下も8月に欠場したものの、出場した試合は確実に打ち、月間4割5分5厘をマーク。9月も4割5分8厘、10月は4割6分2厘と止まるところを知らず、川上も高打率を残したが、日本記録にはならなかった。

 それでも川上の残した3割7分7厘もリーグ記録として、86年(昭61)に阪神のランディ・バース一塁手の3割8分9厘が記録されるまで、35年間君臨したセ・リーグ最高打率だった。

 この時29歳の大下。二日酔いで球場に来て7打数7安打を記録したとか、一睡もせずに試合に出場し、外野で守りながら眠っていたとか、数々の“豪傑伝説”があるが、大下は決して酒は強くなく、むしろ下戸に近かった。酒を飲んだとしても、早朝に公園で素振りを行い、汗をびっしょりかいて酒を抜いて球場入りしたという。天才打者は人のいないところで、それなりの準備も努力もしているのである。

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