日めくりプロ野球 2011年10月

【10月4日】2005年(平17) 10年目 福留孝介とライバルだった沢井良輔 戦力外通告

[ 2011年10月4日 06:00 ]

 覚悟はしていたが、ついに来るべきものが来た。クライマックスシリーズを控えたロッテがこの日、戦力外通告を8人の選手に行った。その中の一人が沢井良輔内野手。95年のドラフト1位で、千葉・銚子商高時代は「東の沢井、西の福留」と呼ばれ、大阪・PL学園高の福留孝介内野手(中日、外野手)と高校球界を代表するスラッガーとして注目を集めた選手だった。

 右肩痛に腰痛…けがに泣きこの2年間は1軍出場なし。加えて、この年大活躍を見せた西岡剛遊撃手、今江敏晃三塁手が台頭し出番がなくなっていた。「もしかしたらというのはあった。今はどうしたらいいか考えられない。少し時間がほしい」。動揺は隠し切れず、足早に球団事務所を後にした。

 入団10年目、1軍での通算成績は90試合出場で36安打、6本塁打、19打点、打率2割2分5厘。初めて開幕戦でスタメンに名を連ねた02年の41試合出場が最多で、ヒット数より三振数(38個)の方が上回った。高校時代から何かと比較されてきた福留は、3年遅れでプロ入りしたものの、この時点で首位打者を獲得するなど、ドラゴンズの主軸を任されていた。「アイツとは関係ない」としながらも、かつてライバルといわれた選手の活躍は焦りにもつながった。

 スタートから波乱含みだった。ドラフトでも7球団から声がかかった福留をロッテが交渉権を獲得できず、沢井はいわゆる“外れ1位”だった。これにもドラマがあった。外れ1位とはいえ、沢井はヤクルトからも指名を受けた。実は在京セ・リーグ希望。ヤクルトならいいな…。そう思いながら結果を待ったが、結果はロッテ。プロ入りせず、大学進学も考えたが、千葉移転後初の地元出身の1位選手にゾッコンだったロッテは、広岡達朗GMが「足と肩は一級品。パワーだって福留より上」と最大級の賛辞を送り、沢井の気持ちをぐグラつかせた。

 ロッテ入りした沢井に与えられた背番号は「10」。球団の期待の表れだった。野球留学や1軍帯同など、さまざまな特別待遇の育成計画が持ち上がったが、プロ野球は年々新人が入ってきては、何人もの選手がユニホームを脱いでいく。1軍初出場まで3年、初安打、初本塁打まで5年かかった遅咲きだった。ドラフト1位という特別席にいたからこそ、球団も待ってくれていた。

 10年目、背番号が32に変わった。「この世界で背番号が前より大きくなったらクビが近いと思え」という暗黙の了解がある。沢井が付けていた10番は、期待の大砲候補・大松尚逸外野手に与えられた。

 トライアウトも受けず、プロのユニホームを脱いだ。引退後は社会人のクラブチームに選手兼任コーチで在籍。BCリーグ群馬でもコーチを務めた。

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