日めくりプロ野球 2011年9月

【9月29日】1994年(平6) 日本ハム 10年ぶりの最下位 大沢親分 ファンの前で土下座

[ 2011年9月29日 06:00 ]

試合終了後のセレモニーで土下座した日本ハム・大沢監督

 【日本ハム11―6ロッテ】それはいきなりの行動だった。本拠地・東京ドームで94年のシーズン最終戦を終えた日本ハムの大沢啓二監督は、突然マウンドの上に正座をしたかと思うと、頭を深々と下げた。土下座だった。

 12安打11得点と久々に打線が爆発し、ロッテに大勝し、最後にファンに勝ち試合を見せることができた。しかし、残り3試合の時点で44勝78敗5引き分けの成績。球団10年ぶりの最下位で、大沢監督も辞任を表明していた。「自分は今季限りでチームを出て行く。なのにファンに借りがあったら出て行くにも出て行けない。本当に申し訳なかった、という気持ちを表したかった。親にも頭を下げたことねえけど、こうするしか詫びることができないんだ」。

 前年、球団常務から9年ぶりに現場復帰。常勝西武と最後まで優勝争いを展開。パ・リーグを大いに盛り上げた。94年は何としても優勝とファンも球団フロントも期待を抱いた。が、フタを開けてみれば、連戦連敗。8連敗をはじめ、3連敗以上が14度もあり、逆に3連勝以上が3度しかなければ、上位進出はおぼつかなかった。

 故障者に泣いたという同情すべき点はあったが、大沢監督は「前年の2位でオレも選手も浮かれちまったのが最大の敗因。相手はみんなプロ。浮かれているうちに抜かれちまったんだ。責任は全部監督であるオレにある」として、言い訳はしなかった。

 実は大沢監督、9年ぶりの指揮官復帰は全く本意ではなかった。球団常務の親分は新監督に阪急、オリックスで指揮を執った、上田利治を推薦していた。上田も乗り気だったが、フロントの一部から「彼は関西の人間だから」との理由で難色を示した。次に巨人の監督を退いて以来、長らく浪人生活をしていた王貞治に親分は声をかけた。

 「そのころワンちゃんは少年野球の仕事を一生懸命やっていてね。それがあるから“今すぐにはできない”って断られちまった。前向きには考えてくれたけどな」。

 難航する監督人事に、大沢はついにキレた。「フロントは相変わらず人気、知名度のある人を、という条件を言うもんだから、とうとうオレは頭にきちまって人気だけだったら、当時旬の女優だった宮沢りえにやらせろ、とまで言ってやったさ。結局、時間切れでオレがやるはめになっちまったよ」。

 残り3試合、2勝1敗の成績で大沢は13年にわたる監督生活を終えた。通算1547試合で725勝723敗99引き分け、勝率5割1厘。「勝ち越して監督生活を終われる人間はそう多くない。名将なんておこがましいが、貯金2か。ちょうどいいんじゃねぇか」。ロッテと日本ハム時代にシーズン途中から指揮を執り、2度目のファイターズ監督就任もなり手がいなくて困った時に引き受けた。いわば火中の栗を拾い続けた親分。口は悪かったが、無類のお人好し、それが親分の素顔だった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る