日めくりプロ野球 2011年9月

【9月26日】2003年(平15) 原辰徳監督 無念の“辞任”「読売グループ内の人事異動」

[ 2011年9月26日 06:00 ]

くちびるをかみ締めて会見に応じる巨人・原監督

 前年の日本一から1年足らず。巨人・原辰徳監督が就任わずか2年目で辞任に追い込まれた。2年目の成績は3位。阪神の独走を許し、9月18日に早くもリーグ優勝が決まっていたが、3年契約の2年目で辞めなければならない成績ではなかった。にもかかわらず、辞任。渡辺恒雄オーナー、堀内恒夫新監督同席で行われた会見は異様な雰囲気が漂っていた。

 「一人一人の力を十分に発揮させることができず、不甲斐ない成績に終わってしまった。このまま何もしないで来季、指揮を執っていいものなのか。すべては私の責任。(このままでは)巨人の監督として権威、威厳に傷をつけてしまう」。目を赤くしながら、本意ではない気持ちを口にしなければならなかった。現場の力を結集して、来季は必ずペナントを奪回するという自信はあった。しかし、それをバックアップしなければならないフロントとの対立は修復不可能なところまできていた。

 辞任会見の約半月前の9月9日、巨人は球団代表が交代した。渡辺オーナーの腹心である三山秀昭新球団代表は、優勝を逃した原監督にヘッドコーチ格の篠塚総合コーチの2軍監督への配置転換など、コーチ陣の大幅入れ替えを要求した。

 コーチを“ファミリー”と位置付けていた原監督はコーチ陣の人事権を渡辺オーナーに求めたが、受け入れられず、球団代表にもこのままの形で来季も戦いたいと再考を願い出たが却下された。対立が深まる中、就任早々の球団代表をまた代えるわけにもいかず、かといって原監督も妥協は自らの美学に反することから、自ら身を引く腹を決めた。9月16日、中日に敗れて最下位になった75年(昭50)以来、28年ぶりの9連敗を喫した夜に「一人で決断した」原監督は、翌17日に辞表を提出。渡辺オーナーらに慰留を受けたが、決意は変わらなかった。

 巨人の監督交代はこれまで「勇退」「禅譲」「解任」の3パターンだけで、監督辞任は前例がなかった。渡辺オーナーは巨人軍史上前例のない事態に会見で「辞任とか解任とかではなく、読売グループ内での人事異動。実に明快に話は進んだ」と説明。原監督は現場の指揮官から、巨人軍特別顧問に“異動”するだけと強調し、新監督に就任する堀内氏も「読売新聞のスポーツアドバイザーとして活躍してもらっている」立場からの“異動”であるとした。

 しかし、どう見ても不自然な巨人の監督交代劇。渡辺オーナー宅には「爆弾を仕掛けた」といういたずら電話まであり、警察が出動する騒ぎにまで起きるほど、ファンからの反発は大きかった。

 フロント主導による人事でスタートした堀内新監督体制だったが、04年こそなんとか3位でAクラスをキープしたが、05年は借金18、球団史上初の80敗、79年(昭54)以来、26年ぶりの5位に沈み、堀内監督は原監督同様2年という最短タイでジャイアンツの監督を退くことになった。

 そして原監督が2年の充電期間を置いて復帰。その1年目は、壊れた巨人を立て直すのに時間がかかり4位に。巨人軍史上初の2年連続Bクラスとなり、「読売グループ内の人事異動」からVを奪回するには、07年まで4年の歳月がかかってしまった。
 

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