日めくりプロ野球 2011年8月

【8月26日】1971年(昭46) 父が倒れたその日に…ルーキー稲葉光雄 涙の初勝利

[ 2011年8月26日 06:00 ]

マスターズリーグ・名古屋で往年の勇姿をみせた稲葉光雄投手

 【中日5―4巨人】新人右腕の見事な延長戦での投球だった。中日・稲葉光雄投手は巨人20回戦(後楽園)に4―4の延長11回から3番手として登板。得意のカーブを多投し、巨人打線をわずか1安打に抑え、延長14回に飛び出した島谷金二三塁手の14号ソロ本塁打によってプロ入り初勝利をマークした。

 報道陣に囲まれ、ヒーローインタビューを受けた稲葉だが、涙を浮かべて言葉にならない。「親父に早く知らせたい」。かろうじて言ったひと言だった。

 このひと言には大きな意味があった。プロ入り11試合目の登板となったこの日、稲葉の父親は静岡・清水の実家で脳血栓で倒れた。心配でならない稲葉だったが、大切な巨人戦。病院に行くこともできなかった。「投げることで親父を励ますしかない」。気持ちを整理してマウンドに上がった。巨人打線を相手に臆せず好投できたのは、恥ずかしい投球はできないというただその思いだけだった。

 稲葉はその後も勝ち続けた。3日後の8月29日の阪神19回戦(中日)では6回6安打無失点で2勝目を挙げ、気が付けばルーキーイヤーは6勝0敗で防御率はなんと1・06。勝ち星を重ねるごとに父親の症状は快方に向かっていった。息子の白星こそ、何よりの良薬だったのだ。

 稲葉といえば、眼鏡がトレードマークだが、入団当時はかけていなかった。が、木俣達彦捕手に大目玉を食らったことがきっかけで、大急ぎで眼鏡を作ることになった。

 5月のことだった。初のナイター登板となった試合で、木俣の出すサインがほとんど見えなかった。「ストレートのサインでカーブを、カーブのサインでストレートを投げていた」と稲葉。この時初めて自分の目が悪いことに気付いた。ベンチ裏で木俣にどなられたのも仕方がなかった。

 初勝利も巨人戦だったが、翌72年には20勝のうち6勝がジャイアンツを相手に勝ったもの。阪急に移籍する76年まで、通算46勝をマークしたが、うち巨人戦は13勝と最多。星野仙一投手と並んで中日ファンにき巨人キラーでその名が通っていた。

 社会人野球の日本軽金属から70年のドラフト2位で中日入り。その2年前には広島もリストアップしていたほどの右腕だったが、希望球団は「巨人以外ならどこでも」だった。静岡でプロ野球中継がある時はいつも巨人戦だったが、ここで思ったのが「王さんや長嶋さんと勝負してみたい」。中日の指名は願ったりかなったりだった。

 阪急、阪神と渡り歩き、引退後は中日、日本ハムで投手コーチ。育成には定評があり、中日では山本昌、今中慎二、落合英二らを一人前にした。

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