日めくりプロ野球 2011年8月

【8月14日】1966年(昭41) “ガソリンタンク”米田哲也 独自の食事法で200勝達成

[ 2011年8月14日 06:00 ]

通算350勝を挙げた、“ガソリンタンク”米田

 【阪急3―1近鉄】遊撃手からウイニングボールを受け取ると、ポーカーフェイスだった背番号18が初めて白い歯をみせた。
 日生球場での近鉄21回戦で123球を投げ、4安打1失点で勝利を収めた、阪急(現、オリックス)・米田哲也投手は、シーズン21勝目を挙げた。

 「審判が低めのボールをとってくれなかったので苦しんだ」と米田。被安打を上回る6四球を出したことに苦笑したが、これで通算200勝達成。「きょう勝てば200勝というのは知っていた。気合いが入ったよ」と、うだるような暑さの中でいとも簡単に完投勝利を収めた。

 この日はダブルヘッダー。第1試合で後輩の足立光宏投手も完投勝利で12勝目をマーク。それに続けとばかり、前半から飛ばした。完封ペースでスイスイいったが、8回に1点を失った。「記念日だし完封したかったけど…。まあ、リリーフに助けてもらわずに勝てたのだから良かったんじゃないかな」と笑った。

 「一番よく覚えているのは初勝利だね」と米田。二重契約問題まで起きるほど、阪急と阪神の間で争奪戦になった末にブレーブス入りした18歳右腕は、1年目の56年(昭31)4月11日、西宮球場での高橋ユニオンズ2回戦で早くも完投勝利を記録した。この試合の4打席目、米田は高橋の左腕吉岡史郎投手から満塁本塁打を放った。プロ初白星に加えてグランドスラム。プロ野球史上ただ一人の記録は忘れるはずもなく、それから200もの白星を積み重ねてきた。これで現役4位の勝利数(当時)に「金田(正一投手)には及ばないかもしれないが、300勝が次の目標」と大きな目標を掲げた。

 記念すべき勝利に自宅ではご馳走が待っているはず、と周囲は想像をめぐらせたが、豪勢な料理も祝福のケーキも何一つ食卓には並んでいなかった。帰宅すると水分を補給しただけで何も食べずに就寝した。

 米田にとっては別に驚くことでも何でもなかった。これが独自の“食事ローテーション”だった。登板した後、米田はいつも何も食べず、翌日も軽食で済ませた。徐々に食べる量を増やし、登板前日には当時1枚3000円もするステーキなどボリューム満点のものを口にし、焼いたニンニクをガリガリとかじった。

 この米田式食事管理法のカギを握っていたのが、夫人だった。元松竹の映画女優だった夫人は、急なリリーフの場合を除き、先発予定日に合わせて食材を用意。ローテーションが変わったり、登板日が読めなくなると、なんと西本幸雄監督に直接電話して夫がマウンドに登る日を聞きだすとまで言われていた。

 プロ野球最多の949試合登板、金田に次ぐ歴代2位の通算350勝、通算最多先発626試合、19年連続2ケタ勝利の輝かしい記録は、この内助の功があってのものだった。

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