日めくりプロ野球 2011年7月

【7月19日】1958年(昭33)  元エース 西村貞朗 ローテの谷間が完全試合

[ 2011年7月19日 06:00 ]

 【西鉄1―0東映】3回を終わって走者を一人も許していなかった。

 「ニシさん、パーフェクトでもやるかね」。西鉄(現、西武)・和田博実捕手がベンチへ戻りながら、西村貞朗投手に半ば冗談で話しかけたが、背番号20も笑って答えた。「そうだな。1本打たれるまで欲張ってみるか」。

 そんな気持ちのまま投げていたら、あれよあれよという間に27個のアウトを101球で取り、プロ野球史上5人目の完全試合を達成した。駒沢球場での対東映(現、日本ハム)16回戦での大記録誕生は、東京を舞台にしたプロ野球での初めてのパーフェクトゲームだった。

 大記録には運も味方する。5回、東映の5番スタンレー橋本一塁手の強烈な三ゴロを小渕泰輔三塁手がお手玉。間一髪でアウトになった。8回、4番山本八郎捕手の遊直、橋本の二直はいずれもバットの芯で捉えた当たり。ヒットになってもおかしくなかったが、いずれも野手の正面をついた。

 西鉄も東映・西田亨投手の前に得点ができず、ようやく7回に3番豊田泰光遊撃手の左翼への3号ソロ本塁打で先制したが、それ以上西村を援護できないまま、9回を迎えた。

 「そんなに硬くならんでくれ」と西村は野手に声をかけたが、かけられた方は余計プレッシャーを感じるもの。9回、先頭の代打水上静哉内野手の遊ゴロを豊田がはじいた。拾いなおして一塁に投げたが、タイミングのかなり際どいアウト。東映ファンからの野次はしばらく収まらないほどだった。

 最後の打者、代打の吉田勝豊外野手の三ゴロを途中からサードに入った中西太が大事そうに両手で捕球、送球を受けた河野昭修一塁手もこれまた両手でがっちりミットに収め、ようやく緊張の1時間47分のゲームは終了した。

 ナインにもみくちゃにされながら満面の笑みの西村は意外なことを口にした。「真っ直ぐは走らないし、カーブとシュートでだましだまし投げていた。きょう登板予定だった?いや、球場に入ったら川崎(徳次投手コーチ)さんから“お前、いってくれ”と急に言われて…。肩がいかれたオレが先発でどこまでいけるかわからんが、とにかくいけるところまで、という気持ちで投げたら最後にとんでもないことになった」。スリークォーターから投げる直球はまさにスローボールの域。その分縦に割れるカーブとシュートで打たせた。内野ゴロ15という数字がそれを物語っていた。

 入団1年目の53年(昭28)は2勝9敗の成績だったが、オフに来日した全米選抜チームの投手陣が故障などで人数が足りなくなり、急きょ補強選手として米国チーム入りした。わずか10日間ながら、貴重な体験をした西村。肩を壊す前の、まだ上手から投げていた本格派は、ストレートの速さも大リーガーたちに認められ「メジャーに連れて帰りたい」というラブコールまで受け、時の新聞は「シンデレラボーイ」とまで書いた。

 自信を得た西村は翌年22勝5敗で、西鉄初のリーグ優勝に貢献。さらに55年19勝、56年21勝と通算勝利数83の大半をこの3年間で稼いだ。

 前述の通り、57年に肩を壊し、以後の活躍はこの完全試合ぐらいだったか、このパーフェクトでの勝利時点で、西鉄は首位南海と7ゲーム差の3位だったが、西村の大記録で勢いづいたチームは、大逆転優勝を飾り、日本シリーズも巨人相手に3連敗4連勝の離れ業を演じ、3年連続日本一を達成した。

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