日めくりプロ野球 2011年6月

【6月28日】1994年(平6) マジック終了?仰木彬監督が“消えた”

[ 2011年6月28日 06:00 ]

ベンチから選手に指示を出すオリックス時代の仰木彬監督

 【近鉄7―4オリックス】日生球場でのナイターが午後6時に始まったが、定位置にあの人の姿はなかった。三塁コーチスボックスに入っていたオリックス・仰木彬監督は近鉄11回戦で久しぶりにベンチから指揮。弓岡敬二郎内野守備走塁コーチが代わってその位置に入った。

 「三塁コーチャーはもうええやろ、と思って…。けが人も出ているし、中継ぎ投手陣の調子も良くない。俺がベンチで的確に状況を把握しないといけないしな」と仰木監督。売り出し中のイチローは打率4割近くをマークし絶好調だったが、チームは首位西武と7ゲーム差の3位。仰木監督の配置転換も実らず、この近鉄戦も4本の本塁打を食らい、これで6月は負け越しが決まった。

 仰木監督が三塁コーチャーに立ったのは5月22日。5連敗中のチームを鼓舞するため、指揮官陣頭で勝利への執念を見せた。ダイエー8回戦(神戸)の試合前、ベンチ前で円陣を組み「三塁コーチャーに立つ。俺も一緒に戦うで」と宣言。ナインにその気持ちが乗り移り、初回から3回まで3点ずつを奪って11―5で大勝。連敗を止めた。以来、27試合立ち続け、18勝9敗。一時3位から2位に浮上。“仰木マジック”健在ぶりを見せつけた。

 指揮官がベンチに戻ったオリックスは8月16日と9月2日に首位に立ったこともあったが、最終的には近鉄と同率の2位に。それでも翌95年に前身の阪急の優勝以来11年ぶり、オリックスとして初のリーグ制覇の基礎を築いた。

 消えた指揮官がいれば、再登場した指揮官もいた。仰木監督がベンチに引っ込んだ翌日の29日、日本ハム・大沢啓二監督がダイエー13回戦(福岡ドーム)で三塁コーチスボックスに立った。

 4月10日のロッテ2回戦(東京ドーム)で6回の1イニングだけ、一塁コーチャーとして登場していたが、借金15で最下位に沈むチームに“喝”を入れるべく、65歳の親分自ら陣頭指揮を買って出た。

 初回から大声を張り上げ、選手を叱咤激励するする姿に、九州のファンは大喜び。初回、そのご利益は早くも現れた。3番田中幸雄右翼手の右翼線適時二塁打で先制点。二塁走者の広瀬哲朗遊撃手に向かって右腕をグルグル回すと、スタンドの観衆はさらに沸いた。

 その後逆転されながらも5回には3連打を含む4本のヒットを集めて同点に。途中から猿渡寛茂コーチと交代したが、試合は6―4で勝ち、前日に続いて連勝。「俺がおんまり大きな声を出すもんだから、みんなビックリしちゃって打ったんじゃねぇか。とにかく声を出さないとリズムが出ない。最近の選手は出さねぇから。これで少しは分かってくれたかもな」と上機嫌の親分だった。

 ただ、オリックスと違ってこの年の日本ハムは最後まで調子が上がらず、10年ぶりの最下位でシーズン終了。大沢監督は辞任してしまった。

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