日めくりプロ野球 2011年6月

【6月25日】1982年(昭57) あれから1353日 西武 初の“優勝” 2日続けてビールかけ

[ 2011年6月25日 06:00 ]

 【西武3―3日本ハム】後楽園球場の三塁側ベンチ。西武・広岡達朗監督の耳元で球団職員がささやいた。グラウンドで滅多に笑わない指揮官のほおがかすかにだがゆるんだ。

 大車輪の活躍を見せた大田卓司外野手は目頭を押さえてあふれ出るものをなんとか止めようとし、田淵幸一内野手は森昌彦ヘッドコーチと抱き合って喜んだ。

 午後4時12分。藤井寺球場で2位阪急が近鉄に敗れた。この時点でマジック1の西武は前期優勝を決定した。福岡に本拠地を置いていたクラウンライターライオンズを西武が買収した、78年10月12日から1353日目。パ・リーグが前後期制になって10年。唯一優勝していなかったライオンズが“初優勝”を飾った。

 「正直言って嬉しいというより、ホッとしたという気持ちの方が強い。どうしていいか分からなくなった時もあった。でも、選手と話しあっいてるうちに新たないい勉強をさせてもらった」。いつもクールな広岡監督の言葉には、いつも以上に熱がこもっていた。

 優勝請負人、管理野球、食事制限…万年Bクラスだったヤクルトを就任2年目で2位、3年目で日本一に導いた広岡監督によって、チームは大きく変わった。ベテランが優遇されてきた“伝統”は一夜にしてなくなり、広岡監督はベテランこそ厳しく扱った。
 一番冷遇されたのが西鉄以来、ライオンズ一筋14年の大田だった。「最初からDHを狙う選手はいらない。打って、守って、走れるのが野球の基本。故障でチームで決められたメニューができないのなら、このグランドにいる必要はない」。2月のキャンプイン2日目、大田は全体練習から外された。

 いつもならふてくされるところだが、チームが変わっていく雰囲気を感じ取っていた大田は孤独なトレーニングにも耐え、バットが握れる日を待った。自然食を奨励する広岡監督の方針に従い、体調管理にも気をつけた。酒豪でならした大田は毎日ボトル1本の酒量からコップ1杯のビールにし、さらには豆乳に代えた。
 
 代打で結果を出してチャンスをつかみ、6月に入った頃には田淵に代わって4番に座った。打率3割1分、10本塁打で39打点。勝利打点10はリーグトップ。気がつけば前期MVPに選ばれた背番号25は「優勝という言葉に表せない感激に加えて、こんな大きな賞をもらった。俺は幸せ者だね」。また涙がほおを伝わった。

 後楽園での日本ハム戦は引き分け。敵地ということもあって胴上げは翌26日の地元所沢での南海戦までお預けとなったが、歓喜のビールかけは場所を東京・東池袋のサンシャインシティ60の54階に移して盛大に行われた。

 26日は胴上げのみが予定されていたが、堤オーナーの「きょうもやったらいい」という鶴の一声で急きょ2日連続のビールかけが球場内のレストランで行われた。美酒に酔うナインを見つめながら、広岡監督は私設応援団のメンバーひとりひとりと固い握手を交わしていた。
 

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