日めくりプロ野球 2011年6月

【6月11日】1984年(昭59) 大失態“にらまれた男” 柳原隆弘 代打逆転サヨナラ満塁弾

[ 2011年6月11日 06:00 ]

パ・リーグ初の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放った直後の近鉄・柳原

 【近鉄5―2南海】迷いのないスイングは迷いのない打球となって藤井寺球場の左翼席に消えた。

 1点を追う9回裏、1死満塁。南海・山内和宏投手のストレートをスタンドまで運んだ、近鉄の代打・柳原隆弘外野手の逆転サヨナラ満塁本塁打。近鉄は9日の南海10回戦でも9回裏に、加藤英司一塁手が逆転サヨナラ満塁弾を放ち、10日が雨天中止だったため、2試合連続の逆転サヨナラグランドスラムでの勝利となった。

 柳原の一撃はプロ野球史上4本目のピンチヒッターによる奇跡の一発だったが、パ・リーグでは初。「二塁打を打てば逆転だと思ったけど、まさか入るなんて…。もう最高の気分です」。プロ7年目、ヤクルトから近鉄に移籍して2年目。初めてのお立ち台で涙がとめどなくあふれ出るのも無理はなかった。

 岡本伊佐美監督がベンチを見渡した時、目をそらさなかった。5月24日「一生懸命やってファームで結果を出している俺が1軍に行けないのはおかしい」と直訴し、1軍に昇格。ここまで代打成績12打数7安打。自信はあった。が、それ以上にこの試合に出場したい大きな理由があった。

 自転車通勤していた柳原は球場に着くなり、6枚のチケットを手配した。家族を招待するためだった。特に父親はプロになって初めて息子の勇姿を目の当たりにする。7回にベンチ裏でバット振り、いつ声がかかってもいいように準備を整えた。巡ってきた最高の場面。「お前は当たっている。自信を持っていけ!」。岡本監督の言葉を胸に、最初のストライクから強振することを誓っての打席。妻の前で、そして初観戦の父親の前で最高の仕事をやり遂げた。

 78年(昭53)、大阪商大からヤクルトにドラフト1位で入団。長打力のある外野手として期待は大きかったが、2度の失態で広岡達朗監督からにらまれた。1度目はキャンプ初日、チーム全員で明治神宮に参拝した際に遅刻。“大物”のレッテルを貼られてしまい、次はその10日後。ヤクルトが米ユマキャンプに出発する直前の神宮での練習を“無断欠勤”。「大学に提出しなければならない書類があった」と弁解したが、どうも二日酔いで寝坊したらしい。

 ユマ行きのメンバーに入っていたものの、これで外されて以来、顔を上げて広岡監督の目を見られなくなった。武上四郎監督になり、若手起用の方針から出場機会は増えたが結果が出ず、82年オフに近鉄へトレード。ヤクルト・鈴木康二朗投手、近鉄・井本隆投手の交換が本線で、柳原は本人曰く「付録のようなもの」だった。

 移籍1年目は出場わずか7試合。1本塁打で打率8分3厘に終わった。「今年も“付録”のままだったらユニホームを脱ごう」。そう決意してのシーズンだった。佐々木恭介打撃コーチによって「半ば強制的に」スイングの軌道を変える練習をした。

 84年は29試合出場に止まったが、劇的な一発で年俸は200万円アップ。納会の席では球団社長から特別ボーナスまで支給された。

 翌85年は自身最多の95試合に出場。8本塁打34打点を記録。引退寸前から甦った男は、その後さらに5年間ユニホームを着ることができた。
 

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