日めくりプロ野球 2011年5月

【5月12日】1966年(昭41) 7番打者に代打で確信 田中勉 月間2人目の完全試合達成

[ 2011年5月12日 06:00 ]

プロ野球史上9人目の完全試合を達成した西鉄・田中勉。通算103勝をマークした
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 【西鉄2―0南海】焦ってバットを出したような、力のない二ゴロが転がると、もうベンチの中西太監督はグラウンドに走り出していた。

 マウンド上の背番号29に抱きついたその笑顔はクシャクシャ。「どえらいことやったなあ。すごい、ホンマにすごい」。まるで優勝したかのように、ライオンズナインが次々完封勝利を収めた右腕の周りに集まり、握手はするわ、頭をたたくわ。歓喜の輪の中心にいた、西鉄・田中勉投手は「連敗を止めること。ただ勝てばいいと思っていたのに、こんなことになるとは…」を繰り返し、夢心地のまま訳も分からず笑っているしかなかった。

 大阪球場での南海6回戦。田中は投球数117、奪三振7、内野ゴロ7、内野フライ7、外野フライ6で27個のアウトを取り、被安打、与四死球ともに0の完全試合を達成した。

 プロ野球史上9人目の快挙だが、その11日前にも大洋・佐々木吉郎投手が広島相手に達成。1年間で、しかもわずか11日しか経っていない中で、2度のパーフェクトゲームはもちろん初めてだった。

 9回、南海・鶴岡一人監督が球審に代打を告げた時、田中は、初めて大記録達成が現実のものとして意識できるようになった。南海最終回の攻撃は、7番小池兼司一塁手から。田中は8回裏、自軍の攻撃中、ずっと小池をどう仕留めるかだけに考えを巡らせていた。

 この日の小池は三振と一邪飛。田中が圧倒していたが、それとは裏腹に過去小池に何度も痛打された記憶があった。「小池は攻めにくい。嫌だな、と思うことが多かった」と田中。それが引っ込んでくれたことで、悩みが解消された。強気にストレートで押しまくり、小池の代打、ジャック・ブルーム内野手から三振を奪い、次の代打・井上登外野手も三振で難なく2死。最後の代打・杉山光平外野手は簡単に2ストライクと追い込むと、二ゴロに仕留め、大記録を達成した。

 中西監督の勘が快挙をもたらしたともいえる。「コーチ会議で田中は13日からの東映戦に使うという意見が強く、そう決まりかけていたが、ワシの判断で南海戦にしたんや。いわゆる虫の知らせってやつさ。ハッハッハッハ…」と監督兼任内野手は大笑いした。

 社会人の東洋高圧大牟田時代、「九州に田中あり」とうたわれ、都市対抗終了後の61年8月に地元西鉄入り。快速球と縦に大きく割れるカーブを武器に、3年目の63年に17勝8敗で最高勝率のタイトルを獲り、西鉄の5年ぶりリーグ優勝に貢献。完全試合を達成した66年は、シュートとフォークボールをマスターし、23勝12敗と現役9年の中で最多の勝ち星を挙げ、ベストナインに選出された。

 しかし、シュートを多投した代償は右ひじ痛を発症。67年に12勝止まりに終わると、中日・広野功外野手との交換トレードで移籍。69年、週刊誌にプロ野球八百長事件に絡んだとして名前が挙がると、中日を自由契約になりそのまま引退した。

 引退後は割烹料理店や健康食品販売など手広く商売を展開。「八百長をやった選手は80人くらいいる。その後監督になったやつもいる」と口にしたこともあったが、その真相は解明されていない。

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