ソフトバンク宮崎颯の壮大な夢「ハライチより有名になりたい」

[ 2024年9月17日 05:25 ]

ソフトバンクの育成2年目左腕、宮崎
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 やっと生で登板を見ることができた。22年に東農大から育成ドラフト8位でソフトバンクに入団した左腕・宮崎颯(はやと)のことだ。長いリハビリ期間を経て今年6月に待望の実戦デビューを果たし、今月10日の3軍戦(タマスタ筑後)で本拠地初登板すると1回無失点。最速145キロをマークした直球は球速以上に力強かった。何より表情が良くなった。

 「野に放たれましたからね。野球が楽しい感情は凄くあります」

 入団間もない昨年1月に「左肘関節左肘頭疲労骨折に対する骨接合術」および「内側側副じん帯再建術」(トミー・ジョン手術)を受けて登板なし。投げられない長くつらい日々の中、斉藤和巳4軍監督(46)に聞きに行く姿など行動的だと見ていた。伝えられたのはメンタル面だ。

 「絶対にうまくいくと思ったらそうなるから。この経験は殻を破らせてくれるから、逃げるなよ」

 指揮官自身もキャリアの後半は「右肩関節唇修復手術」「右肩腱板修復手術」などけがと闘ってきた。入団してすぐだった宮崎は自分を見失ってもおかしくなかったと思う。それでも「逃げずにやり切る」と心を奮い立たせてきた。

 とにかく真面目な性格。人間としては素晴らしい。野球人としては自分の首を絞めるところもあった。リハビリ期間中の顔色は険しいことが多かった。リハビリ部門の投手陣を担当する森山良二コーチからは「笑顔、笑顔」と励まされた。マンツーマンで見てくれた太田利亨リハビリトレーナーからは「真面目過ぎるから。もうちょっと楽しもう」とメリハリをつけるよう助言され、意識して取り組んできた。

 秘めたる夢がある。「ハライチより有名になりたい」だ。埼玉県上尾市出身。生まれ育った原市という地区はお笑いコンビ「ハライチ」と同じでコンビ名の由来にもなっている。支配下に昇格して活躍すれば同じようにテレビを通じて躍動する姿を地元に届けることもできる。

 「原市と言われればハライチのコンビより宮崎だろと言われるまで頑張りたい」

 帰り道に通ったラーメン店でツッコミ担当の澤部佑を見かけたことがある。地元のスターには親近感とリスペクトの気持ちが強い。プロ野球人生は暗いトンネルから始まったが、24歳は逆襲劇はここからだと感じている。(杉浦 友樹)

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