【内田雅也の追球】「4番サード」の激走生還 OB戦の日に見た「打倒巨人」の闘志

[ 2024年7月16日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2―0巨人 ( 2024年7月15日    東京D )

<巨・神>4回2死一、三塁、大山の左翼線二塁打で一塁から生還する佐藤輝(撮影・大森 寛明)
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 人工芝の上を転がる打球を見ながら阪神・佐藤輝明は三塁を蹴った。三塁ベースコーチ・藤本敦士が手を回していた。

 0―0の4回表2死一、三塁、大山悠輔が左翼線に放った一打である。一塁走者・佐藤輝は足から滑りこみ、本塁を陥れた。長駆生還で貴重な2点目を刻んだのだ。

 2死とはいえリード、第2リード、スタート、そして俊足に力走がなければ生還は無理だった。

 「あの2点目が大きかった」と、試合後、監督・岡田彰布がさらりとたたえていた。巨人先発・赤星優志の立ち上がりが好調で、攻略は難しいとみていたからである。実際、終わってみれば得点圏に走者が進んだのはこの回だけだった。

 ならば投手陣が踏ん張るしかない。この回の先取点が1点ではなく、2点だったことが、投手陣に少なからず余裕をもたらしていた。

 この回は先頭・近本光司が中前打で出塁。ヒットエンドランの遊ゴロで二進。さらに三ゴロの一塁送球間に三塁を陥れる好走塁があった。機動力で重圧をかけていた。

 佐藤輝も内角高め、顔面付近への速球でのけぞりながら、よく選んでの四球だった。これで2死一、三塁とし、大山の殊勲打につなげたのだ。

 この日はデーゲームでナイターでは巨人―阪神OB戦が行われた。巨人の創立90周年を記念した「伝統の一戦~レジェンズOB対決~」である。

 プロ野球草創期から歴史を紡いできた。阪神の選手には今も「打倒巨人」の「虎の血」が流れていると信じたい。

 書き過ぎは承知だが、佐藤輝の激走を見れば、かつて同じ猛虎の4番・サード、藤村富美男を思う。「猛人」とも呼ばれたミスタータイガースは1948(昭和23)年10月3日、巨人戦で逆転サヨナラの本塁に突入、捕手・武宮敏明を体当たりで吹き飛ばした生還は語り草である。むろん、今ではコリジョン(衝突防止)ルール違反で、佐藤輝は正しく、そして激しく滑っていた。

 OB控室で江夏豊に会った。車椅子でやって来た。「時代だなあ」と言った。「時代は移れど、こうして昔の仲間に会えるのはうれしいもんだね。これからもみんな健康でいてほしいよね」

 江夏も田淵幸一も「青春だった」という阪神時代に優勝を知らない。V9巨人に立ち向かっては敗れた。あの時代の闘志の遺伝子は今に引き継がれている。=敬称略=(編集委員)

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