日本ハム・中島独占手記 長い2軍暮らし糧に「息子が物心つくまでプレーしたい」

[ 2023年9月23日 10:00 ]

<楽・日21>2回、中島が通算200盗塁を達成する(撮影・村上 大輔)
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 日本ハムの中島卓也内野手(32)が22日の楽天戦で2回に盗塁を決め、NPB史上79人目となる通算200盗塁を達成した。福岡工から08年ドラフト5位で入団して15年目。努力で結果を積み上げてきた男が、スポニチ本紙に独占手記を寄せた。

 プロ初盗塁は覚えています。11年の楽天戦で9回から稲葉さん(現GM)の代走。本当に緊張しましたね。あれから、200個ですか。まさか自分が200個も盗塁できるとは思ってもいませんでしたが、とにかくひたすら走り、積み上げてきた結果が200盗塁。でも、14年に1試合3盗塁した時は、足がもげそうになりましたね(笑い)。

 プロ1年目は周りの選手のレベルに驚かされました。投手の球も、打者の打球も異次元。この世界で自分が生き残るためには、どうすればいいのか。僕は決して体も大きくなく、ホームラン打者でもないです。だからこそ、小技を磨いてチームに必要とされる選手になろうと心に決めました。

 盗塁は足が速いだけではできません。スタートの構え、切り方はもちろん、配球や試合の流れを読む力が必要です。若手時代、三木肇ファーム内野守備走塁コーチ(現楽天2軍監督)に徹底的に叩き込まれました。正直、怖かった(苦笑い)。当時はよく目から入ってきた情報に反応し、体を動かす速さを鍛えるドリルもやりました。あの時の三木さんの教えが間違いなく土台になっています。

 1年目からとにかく走り、とにかくアウトになりました。精神的にアウトになるのが怖くなり、走れなくなる時期もありました。でも三木コーチは「アウトになってもいいから走れ」と。走らないと何が良いか、何が悪いかの判断ができない。とにかく走ることでこの投手のけん制、クイックならスタートが切れるなどが分かるようになりましたね。

 そして、試合に出続けてきたことで「ここはけん制が来そう」や「ここはやめておこう」など、次第に状況判断ができるようになりました。盗塁はわずか数秒で試合の流れを変えます。セーフになっても、アウトになっても。時に勝敗を左右するからこそ、走るには相当な勇気と覚悟が必要です。アウトになることを恐れず、走り続けてきたからこそ今があると思います。

 正直、今年はもう1軍に上がれないのかなと諦めかけていました。5月23日のソフトバンク戦前の練習中に左脇腹を痛めて2軍降格。復帰後もなかなか1軍に呼ばれることはありませんでした。ただ、鎌ケ谷では僕の10個以上も年下の若手が1軍を目指して懸命に汗を流している姿を見て“自分もこうだったな”と思うと同時に“まだできる”と、刺激を受けましたね。

 2軍生活中は離れて暮らしていた2歳の息子が、最近テレビで野球中継が映ると「パパ、パパ」と、ユニホームを着ている選手に呼びかけているそうです。物心つくまで現役でプレーし、野球をしている姿を見せたい。そのためにも、若手にも負けていられません。まだまだ走り続けます。(北海道日本ハムファイターズ 中島卓也)

 ◇中島 卓也(なかしま・たくや)1991年(平3)1月11日生まれ、福岡県出身の32歳。福岡工から08年ドラフト5位で日本ハム入団。11年に1軍デビューし、14年に初めて規定打席到達。15年に34盗塁で盗塁王&ベストナイン。16年の62犠打はパ・リーグ最多タイ記録。家族は妻と1男。1メートル78、73キロ。右投げ左打ち。

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