阪神ドラ6・富田 高校時代に“ラグビートレ”で足腰とスタミナ強化 投手の土台を築き上げた

[ 2022年12月9日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」 ドラ6、三菱自動車岡崎・富田(下)

大垣商時代の富田(左)(右は2歳上の兄・至温さん)(提供写真)
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 中学最後の大会で投手の才能を開花させた富田は、2歳上の兄・至温(しおん)さんと同じ大垣商に進学した。ポジションは外野から投手に転向。入学直後に投球を受けた有賀竜也監督からは早々に、投手としての素質を見いだされた。

 「手元で伸びる球を投げていたので、絶対に伸びると思った」

 指揮官からお墨付きをもらうと、まずは土台づくりに力を入れた。当時、大垣商の名物トレーニングだったのが、通称・藪トレ。野球部の顧問を務めていた大藪弘佑氏(現・各務原高ラグビー部監督)により発案された。同氏は関商工で3年連続で花園に出場した経歴を持つラガーマン。有賀監督からフィジカルトレーニングの指導を託され、ラグビーのメソッドを野球に落とし込んでいった。

 「厳しい練習だったが、体力面、精神面で鍛えられた」

 富田が振り返ったように、土台は“ラグビートレ”でつくられた。50メートルから往復するたびに距離が縮まるシャトルランでは、合間に腕立て伏せを毎回10回繰り返した。週に2回ほどは大垣市内にある標高217メートルの金生山に出向き、傾斜を利用した坂道ダッシュを敢行。足腰とスタミナ強化を図った。

 過酷なトレーニングの成果は結果にも表れた。1年秋にはベンチ入りし、2年春からは「1」をもらった。同年夏は市岐阜商との準決勝で9回1失点完投するなど決勝進出。大垣日大との決勝も先発を託されたが、6回4失点で降板し甲子園には届かなかった。

 新チームが結成され最上級生となったある日、有賀監督との野球ノートに思わぬメッセージが書き込まれていた。「プロになれ!」。大きな期待をかけられていることを改めて知り、プロを意識するようになった。

 「自分がプロになれると思っていなかったので、初めて“目指せるんだ”と思いました」

 高校卒業後は大学ではなく、より高いレベルを希望して、社会人・三菱自動車岡崎に入社した。1年目から公式戦での登板を経験。プロ解禁となる3年目の今季、大輪の花を咲かせた。10月に台湾で開催されたU23W杯では日本代表に選出され、4試合に先発して計16回を2失点(自責1)。最優秀投手賞、ベストナインを獲得し、高校時代から目標にしてきたプロ野球選手の夢をかなえた。

 「自分の努力が結果に出ると楽しい。プロでも、応援してくれる人、ファンの人たちを大切にしたい」

 大垣商時代に築いた土台が今につながる。関わってくれる人への感謝を忘れず、虎投の一員として躍動する。(長谷川 凡記)

 ◇富田 蓮(とみだ・れん)2001年(平13)9月6日生まれ、岐阜県養老町出身の21歳。6歳の時に広幡クラブで野球を始める。東部中では大垣ボーイズに所属して外野手。大垣商では1年秋から投手でベンチ入りし、2年夏は岐阜大会決勝で敗退、3年夏は4強。三菱自動車岡崎では22年に都市対抗出場。今秋のU―23W杯では最優秀投手賞&ベストナイン(先発投手部門)で優勝に貢献。1メートル75、79キロ。左投げ左打ち。

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