落合博満氏 中日監督就任時の年俸を告白 「中日は決まってる。年俸闘争は1回もしたことない」

[ 2022年11月18日 17:15 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が18日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。2003年シーズン終了後に中日の監督に就任した当時を振り返った。

 中日は03年9月9日に山田久志監督の休養を発表。その後は佐々木恭介ヘッドコーチが指揮を執ったが、メディアでは04年の新監督は1992年から95年半ばまで中日の指揮を執った高木守道氏の復帰が有力と報じられていた。その中で、当時の報道では、10月6日に落合氏に就任要請が届き、同8日には就任会見が行われた。一気に話は進んだ。

 背番号は「66」を着けた。落合氏は「これは女房(信子夫人)が決めたよ。ね?」と信子夫人に問いかけた。信子夫人は「背番号はね、6がもうね、昔からね、いろんな大事にしてた番号で」と説明した。当時「66」は高橋光信内野手が着けていたが、落合氏に譲る形で、高橋光信内野手は「0」をつけた。「彼の番号を変える意味でね、66をオレが付けたっていうことだよ」と話した上で「(6には)こだわりはあった。(落合)記念館が六角形だっていうのもあるしね」と続けた。

 契約年数は「3年」だった。スタッフから年俸を問われた落合氏は「1億だよ。これは中日で決まってるって言ったもん」とあっさりと明かした。スタッフから「インセンティブ(出来高報酬)もあったんですか?」と突っ込まれたが「それはご想像にお任せします」とはぐらかした落合氏。04年から11年まで8シーズン指揮を執り、すべてAクラスで、リーグ優勝4度、日本一1度と強いチームを作り上げたが「年俸闘争は1回もしたことない、監督で。だから、(のちに)監督の年俸が高いから契約をしないとかっていうような話が(報道で)出たけども、それは憶測」と語った。

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2022年11月18日のニュース