東尾修氏 プロ野球記録165与死球は池永正明さんが与えてくれた「勲章」…恩人の死悼む

[ 2022年9月27日 05:30 ]

池永正明氏死去

18年12月、ライオンズOB会忘 年会であいさつする池永正明さん(左)と東尾修氏
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 最後にお会いしたのは今年の春先だった。2、3年前からがんで余命宣告を受けていると聞いていたが、そんなこと感じさせないくらい元気でね。長いこと頑張ってきて…。強い人だった。

 4歳年上の池永さんは私にとって稲尾和久さんと並ぶ恩人。西鉄の入団発表にゴルフを途中で切り上げて同席してくれた。スカウトの配慮と池永さんの気持ちがうれしかった。

 最初に「頑張れよ。いつでも俺がリリーフでいって勝たせてやるからな」と声をかけてくれてね。男前で車はクーガー。福岡市内の平尾に一軒家を建てて下関から呼んだ両親と一緒に住んでいる。外車に乗って、親孝行で、女にもてる。全てに憧れた。

 いつもべったりくっついてキャンプではキャッチボールの相手。いろいろ教わった。スライダーの投げ方に内角への投球。南海戦で主砲の野村克也さんを胸元でのけぞらせ、足元で跳び上がらせる。ノムさんのよける姿がおかしかった。

 そんな先輩と一緒にいられたのは1年と数カ月。池永さんは70年5月、黒い霧事件に巻き込まれて永久失格処分に。主力投手が何人もいなくなり、自信をなくして野手転向を申し出た私も投げるしかなくなった。

 池永さんは数年後、中洲にバーを開店。球団からは出入りしないよう言われていたが、こっそり行っていた。いつも野球の話。毎回きつく言われたのが「インサイドに投げろ!」。私が持つ通算165与死球のプロ野球記録は池永さんが与えてくれた勲章だと思っている。(元西鉄=現西武=ライオンズ投手、スポニチ本紙評論家)

 ▼張本勲氏(現役時代に東映の主砲として対戦)黒い霧であおりを受けたけど250勝は勝てたよ。真っすぐも速いけどシュートとスライダーが抜群。球審がボールと言ってもマウンドから下りてきて「先輩、いいボールでしたよ」と私をからかうんだから度胸もあった。(スポニチ本紙評論家)

 ▼田淵幸一氏(同学年)セとパで対戦することはなかったが、やはり同級生が亡くなるのは寂しい。一度、彼が中洲で営んでいたバー「ドーベル」に行って昔話をしたことがある。ジャンボ(尾崎将司)が一番、仲が良かった。ジャンボは池永のプレーを見て野球を辞めてプロゴルファーになったんだ。黒い霧事件がなかったら、200勝をしていただろう。それぐらいの能力があった。(スポニチ本紙評論家)

 ▼有藤通世氏(同学年でロッテの主砲として対戦)池永は高校、私は大学からのプロ入りで2年ほどしか対戦していないが、僕の中では一番のピッチャーだった。球の質、内外角の出し入れなどの投球術が素晴らしく、打たせてもらえなかった。同世代には鈴木啓示(近鉄)、山田久志(阪急)らがいたがトップのピッチャーだった。(スポニチ本紙評論家)

 ▼ソフトバンク・藤本監督(現役引退後)試合の解説をしている時に、月に1度はゴルフに一緒に行っていた。居酒屋をやっている時も、週に5度くらい来てもらっていた。かわいがってもらった大先輩なので、びっくりした。寂しい。

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2022年9月27日のニュース