西武・内海の敦賀気比時代の恩師・林博美元監督「当時から“ジャイアンツで結果を出したい”と」

[ 2022年9月20日 05:30 ]

西武・内海 引退試合 ( 2022年9月19日    ベルーナD )

敦賀気比の林博美元監督
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 西武・内海の母校である敦賀気比の林博美元監督(64)が教え子の引退に際してスポニチ本紙の取材に応じ、当時の思い出を振り返つつ、ねぎらいの言葉をかけた。

 練習の虫というか、とにかくよく走っていました。うちは練習時間が平日は午後4時前から8時ころまで。土日は一日中と長かったですが、こちらが止めるまで外野のフェンス際を走っていました。全体練習のランニング量も多いですが、なお自分でプラスして走っていた。それで体ができて成長しましたね。

 投球では1年生のころは、腕の使い方がうまいな、という程度でした。2年生になってボールが速くなったけれど、とにかくコントロールのないやつだなと。こちらも意地になって一試合任せましたけど、確実に200球は投げていました。

 飛躍した一つのきっかけは2年生の夏休みだと思います。8月の練習試合でした。強豪の三重海星に対して23三振を奪ったんです。4球しか前に打球が飛ばなかった。変化球はカーブだけでしたが、腕をしっかり振れているのでベース前のワンバウンドでもバッターが振ってくれた。コントロールもそこそこつきだして、毎試合投げさせてもいいかな、と思い始めた。9月からは黙っていても勝っていき、明治神宮大会で準優勝しました。

 今だから言えますけど、当時から「ジャイアンツで結果を出したい」と言っていました。内海や東出(輝裕=現広島コーチ)がプロの一線で頑張ってくれたので、敦賀気比という名前が全国に知れ渡った。後輩たちも刺激を受けて頑張って、どんどん甲子園にも出るようになった。

 最近会ったのは昨年の12月、敦賀気比のコーチの結婚式の時。卒業後もオフになるとグラウンドに来てくれていたので、1年に一度は会っています。19年間お疲れさま。この言葉しかないですね。(敦賀気比元監督)

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