落合博満氏 81年初タイトルの裏に結婚前の信子夫人の助言あり キャンプ直前に行った治療

[ 2022年9月16日 17:05 ]

落合博満氏と信子夫人
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が16日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。初めて信子夫人(77)と揃って出演し、2人のなれそめについて語った。

 落合氏は信子夫人と1984年12月に結婚し、1987年に長男・福嗣さんが誕生した。同動画ではたびたび、落合氏の発言について補足のコメントをするなど、声のみの出演だった。2人揃っての出演は初めてで「やっと出られました。いつも脇で生意気(なコメントを)言っているので、皆さんに元気?とか(コメントを)いただいていた。楽しくやりましょう」と信子夫人。落合氏も笑顔で「うん」とうなずいて動画がスタートした。

 本格的にお付き合いをする前から、落合氏は信子夫人の実家で両親にあいさつを行った。その後は頻繁に落合氏から電話がかかってくるようになったという。信子夫人は当時、野球を知らなかったこともあり、落合氏に「野球選手ってテレビに出てるのに、あなたは出ない。給料ってどのくらいなの?」「(チームの中で)どの位置にいるの?」「歳はいくつ?」なとと質問していったという。落合氏からは「年俸は360万円」との返答があったという。「“えっ”ってなって私も360万って言ったら、年間割ったら月30万。わ…少ない!」と感じたというが、その当時、落合氏は少ない給料の中から親族の医療費の仕送りも行っていたという。「それを(仕送り)してるんだって。その辺が“感心だなぁ”って。お金のこともきちんとしていた」とそういった点でも落合氏の真面目な点を感じ取ったことを明かした。

 「俺の一目ぼれだもん」という落合氏のアプローチから、家族ぐるみの付き合いを経て、本格的なお付き合いが始まった。付き合いはじめてからは、落合氏を導いていった。「目標が何もなかった。野球ができれば僕はいいんだって。それで目標を決めた方がいいよって。なんかタイトル獲ったらお給料上がるんじゃない」と話し目標を決めたという。その目標は「ミスターロッテの有藤さん、その選手のところに近づければいいんじゃない?」とその当時考えれば、とてつもなく大きな目標だった。

 紆余曲折がある中で、2年目の1980年後期には1軍に定着し、57試合に出場して15本塁打を放った。信子夫人は「打者ってさ、奥歯噛みしめて、ガーンってやる(打つ)から、奥歯が負担がかかってすり減るっていうことを聞いてたんで、私が“奥歯を治した方がいい」とアドバイスしたことを明かした。親族がその時にちょうど、歯科の治療院を開設したことも重なり、すぐに治療に入ったという。

 落合氏は「3年目の時だったと思う。1月だったけどね、キャンプ前。1カ月弱かけて。キャンプ行くまでに(直した)」と説明。「当時、歯が悪けりゃ肩を壊すっていうふうに言われてたから。実際問題、肩をぶっ壊してね。肩が上がんなくなって何かっていったら、トレーナーが“お前、歯悪くねぇか?”って言うから、“実は悪いです”って言ったら“だったら歯医者行け”って言われて」と話し、信子夫人のアドバイスの時期も的確だったことを明かした。

 入団3年目の1981年。落合氏は打率.326、33本塁打、90打点の成績を残し、初のタイトルとなる首位打者を獲得した。落合氏はスタッフから「歯の治療が首位打者につながったか」と問われると「うん」とうなずいた。人見知りで寡黙な落合氏だが、信子夫人とは付き合う中で、自らをさらけ出し、信子夫人からのアドバイスもしっかりと聞いていった。信子夫人は「相談してくれたから、素直に。この人の良いところはね、何でもね、言ってくれてた」と話していた。

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