【内田雅也の追球】左投げの二塁手 3番に強打の投手 矢野阪神はまだまだ苦心や工夫があっていい

[ 2022年8月27日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2-5中日 ( 2022年8月26日    バンテリンD )

<中・神>初回 無死 岡林の右前打をはじく大山(記録は二塁打)(撮影・成瀬 徹) 
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 監督・矢野燿大はじめ阪神首脳陣の苦心のあとが見える敗戦だった。

 苦手の中日・大野雄大攻略に向け、大山悠輔を今季初めて右翼手で先発に使った。大野雄に強い陽川尚将(今季対戦打率・333=成績は25日現在)に糸原健斗(同・357)、打撃好調のメル・ロハス・ジュニアを起用するための策だった。

 苦心のオーダーは一応の成果はあった。6回表、佐藤輝明、大山の連打から2死後、陽川が左中間フェンス直撃の2点二塁打を放ち、大野雄を降板に追い込んだ。

 得点には結びつかなかったが、ロハスは安打を放ち、糸原は無安打だが、明らかに大野雄は投げづらそうにしていた。首脳陣の対策は間違ってはいなかったと言える。

 さらに3点ビハインドの7回裏の守備シフト変更でも苦心を重ねた。代打で使った島田海吏を右翼に入れ、佐藤輝を初めて二塁で起用、陽川三塁、大山一塁の布陣を敷いたのだ。反撃に向け、守備のリスクを負っても攻撃を優先した苦肉の策だったろう。

 勝利に結びつかなかったのは無念だろう。ただし勝負の世界だ。監督や首脳陣が勝利のために用兵や采配で苦労するのは当然である。まだまだ苦心や工夫があっていい。

 大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、近鉄3球団でリーグ優勝に8度導いた名将、西本幸雄の生き方を見たい。

 毎日(後の大毎)での現役時代、1951(昭和26)年8月16日、西鉄戦の9回裏、選手を使いきった際、左投げながら自ら監督・湯浅禎夫に申し出て二塁を守った。

 阪急監督時代の63年7月には、あまりの貧打に投手の梶本隆夫を3番で起用する奇策に打ってでた。批判を覚悟でカンフル効果を狙った。

 左の二塁や3番投手を思えば、大山右翼も佐藤輝二塁も十分ある用兵である。現に大山も佐藤輝も立派に守っていた。

 夏の長期ロード最後の3連戦である。今季限りで退任する矢野にとっては最後の名古屋遠征となる。中日でのプロ入りから阪神移籍までを過ごした思い出の地。チームとしても気分よく旅を終えたいだろう。

 上を見ていたはずが、いつの間にか最下位・中日とも3・5ゲーム差。まだまだ苦労は続く。それでも西本は「苦労はいつか報われる」と信じていた。 =敬称略=
 (編集委員)

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