日本のプロ野球から「ダブルヘッダー」はなぜ消えた?最後の実施は1998年

[ 2022年8月15日 20:40 ]

近鉄の優勝がかかった1988年、伝説の「10・19決戦」のダブルヘッダー第2試合でけん制アウトの判定をめぐって審判に抗議する有藤通世(有藤道世)監督(左から3人目)。
Photo By スポニチ

 新型コロナウイルスの感染拡大から3年目。今年は全国各地で感染者が急増し、その影響はプロ野球にも及んだ。

 6月以降、チーム内に感染者が複数出たことでソフトバンクやヤクルトが試合を中止。巨人は7月後半に選手、スタッフら70人以上が陽性判定を受け、球宴をまたいで6試合連続で中止となった。

 新型コロナウイルスだけでなく天候不良による中止もあるが、DeNAは9月の30日間で27試合が予定されるなど過密日程が続く。9月は台風シーズンでもあるだけにさらなる中止の可能性もある。

 NPBの井原敦事務局長は7月28日、12球団による臨時実行委員会の後に「ダブルヘッダーの実施も検討し始めないといけないという認識は12球団で共有致しました」と説明。ダブルヘッダー実施の可能性について言及した。

 ダブルヘッダーはNPBより試合数の多いMLBでは開催されているが、NPBでは1998年10月10日に行われた横浜―中日戦が最後。以降、24年間、一度もダブルヘッダーは行われていない。

 では、なぜ日本のプロ野球からダブルヘッダーが消えたのか?セ・リーグNPBの杵渕和秀セ・リーグ統括に尋ねた。

 杵渕統括によると、パ・リーグでは1980年代前半までは、最初の日程から土曜日シングル(1試合)、日曜日ダブルヘッダー(2試合)の地方試合とかがあった。その後から最初からダブルヘッダーがないんですよ」と80年代後半に入って、そもそも最初に発表される日程からダブルヘッダーが消えたという。

 杵渕統括は「もちろんいろんなことがあって、どれが正解、これが絶対の理由はない」とダブルヘッダーが消えた理由は1つではないと前置きした上で、複数の理由を語った。

 まず、1980年に「日本プロ野球選手会」が設立され「選手会ができて、選手会の意見が我々に届き、選手のコンディション、負担ということで1日1試合であるべきだろうということで選手会から日程に関して、コンディション、負担を考えてくださいっていうのがあります」と選手会からの要望があったという。

 もちろん「選手会からの要望だけでなくチームからも選手のコンディションをという両面があります」と球団側からの要望もあった。

 さらに「交通網が発達したとか、ドーム球場ができて日程がそもそもスムーズに進んでいるので、どうしても日程消化しなきゃということでダブルヘッダーをする必要がなくなっているのもあります」とした。

 また、スポンサーとの契約や各球団が本拠地球場で設置している年間シートの問題もあり「営業面を考えると、きちんと1試合1試合やりたいということもあって、ダブルヘッダーはできるだけ避けたいという球団からの話もあります」とした。

 昔のダブルヘッダーはほとんどが1日で2試合見ることができる「通し券」。実際に1974年10月14日、巨人・長嶋茂雄(現終身名誉監督)の引退試合はダブルヘッダーだった。当時の外野自由席は通常200円で、ダブルヘッダーだと250円だった。

 通し券となれば1日1試合で143試合を行った際と比べ、入場料の減収は避けられないが、杵渕統括によると、場所によっては球場の外に待機スペースがないところもあるといい、ダブルヘッダーの1試合目と2試合目で観客を入れ替えるのは現実的でないという。

 「営業面を考えると1試合1試合でチケットを売りたいしお客さんもきちんと入れたい。年間シートのお客様へのご案内とかスポンサーとの契約とかいろんなことがあるので、すべてを達成する面でダブルヘッダーを避けたいというのもあります」と語った。

 選手、球団からのコンディション面での要望や交通インフラの発達、ドーム球場、営業面など様々な理由から2000年以降、ダブルヘッダーは消えた。ただ、コロナ禍により2022年の今、ダブルヘッダー実施の可能性が浮上している。

 杵渕統括は「普段、1日1試合の中で選手がパフォーマンスを発揮してもらってやってるわけですから、最後まで普段通りの試合日程の中でやってもらいたい。できるだけ避けたい」とあくまで1日1試合が望ましくダブルヘッダーは最終的な手段とした。

続きを表示

この記事のフォト

2022年8月15日のニュース