落合博満氏 中日移籍後初Vの裏でささやかれた星野監督との確執「表に出てない話」衝撃の新事実

[ 2022年7月1日 17:00 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が1日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。中日時代にささやかれた星野仙一監督との確執の噂について、移籍2年目でチームを優勝に導いた1988年オフの“裏話”を交え語った。

 落合氏が中日に移籍して2年目の1988年、中日は星野監督下で初めてセ・リーグ制覇を果たした。落合氏にとっては「3割切るのはこんなに寂しいもんなのか、というような感じだった」とプロ3年目以降で初めて打率3割(.293、32本塁打、95打点)に届かなかったシーズンでもあった。2年連続無冠でシーズンを終え、一部では星野監督との確執の噂も報じられた。また、その年は南海がダイエーに、阪急がオリックスにそれぞれ身売りをしてパ・リーグに新球団が2チーム誕生した年でもあり、パ・リーグ球団からの誘いもあったのではないと言われていた。

 当時について笑いながら「まあ、本当のことを言うとね」と語り始めた落合氏の口から衝撃的な事実が飛び出した。

 「日本ハムとのトレードっていうのが実際あったみたい。で、亡くなった近藤貞雄さん(当時の日本ハムの監督)から自宅に電話がかかってきたもん。“お前、日本ハムにトレードの話があるけども来るの嫌か?”って言うから、いや、別に嫌じゃないですよっていうような話をした」

 まだまだ衝撃の告白は終わらなかった。「で、(トレードの)相手の名前も言ったよ。相手は津野(浩)だったの」と、1988年に落合氏と日本ハム・津野投手のトレード話が実際に進められていたことを明かした。続けて「で、それが球団で話題になってスタッフ会議を社長を交えてやって、“落合をトレードで出すの賛成の人は手を挙げろ”つったら星野さんともう1人が手を挙げて、あとは全員反対だったっていうんで“じゃあ、この話は無しな”っていうんで、そこで中山(了・当時の球団社長)さんがそこで打ち切ったっていう話は聞いた」と詳細なトレード破談までのいきさつを語った。

 スタッフが驚きの声を上げると、落合氏は「あぁ、表に出てない話。だってオレだって近藤さんから直に電話がかかってくるとは思わなかったもん」と自身も驚いた当時を回顧。電話がかかってきた時期を聞くと、信子夫人が「何月?私が(電話に)出たんだよね」と振り返り、落合氏も「うん、オフだよ。だから優勝したんだから落合はもういらないだろっていうふうに判断したのかも分かんない」と話した。

 驚きの連続に困惑するスタッフを見た落合氏は「だから、こういう物事っていうのは水面下でやらなきゃいけないから。表に出たらひと騒ぎになるでしょ。水面下で話を進めてて、それで何もなければそのまま終わりにしちゃおうっていうのが…そういう世界だよ」と球界の裏事情を明かした。そして最後に「だから表立って出てくるのは大概ウソが多い」とつぶやくとスタッフは苦笑い。監督のオファー話も「オレ、一切来たことないからね、話は」とし、1988年当時のダイエーやオリックスからの誘いの話についても「全くオレの耳には入っては来てない。だからほぼ(日本ハムとのトレード話は)決まりかけてたんじゃないのか?でなきゃ、相手の監督から電話かかってこないよ、直接」と、今だから話せる衝撃の「落合博満 中日から日本ハムにトレード成立間際の破談」という今まで一切表に出てこなかった裏話を懐かしそうに振り返っていた。

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