試合を休まない、真摯な姿勢…エンゼルス・大谷は「二刀流」ルースより「鉄人」ルー・ゲーリッグと重なる

[ 2022年6月21日 02:36 ]

<マリナーズ・エンゼルス>3連勝を喜ぶ大谷(撮影・篠原岳夫)
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 ルースよりもゲーリッグ似?エンゼルスの大谷翔平投手(27)は「ルー・ゲーリッグ・デー」の2日、敵地でのヤンキース戦で、大リーグでは77年ぶりとなるダブルヘッダーでの投手&野手先発出場を果たし、その鉄人ぶりが話題を呼んだ。「Monthly Shohei」の6月編は、元祖二刀流のベーブ・ルースよりも多く挙げられるルー・ゲーリッグと大谷との共通項にスポットを当てた。(杉浦大介通信員)

 2130試合連続出場を果たすなど、頑健な強打者として1920~30年代に活躍し「Iron Horse(鉄の馬)」と称されたゲーリッグ。引退時のスピーチの言葉がタイトルになった伝記本「Luckiest Man(最も幸運な男)」の著者であるジョナサン・エイグ氏(58)は、そのキャラクターをこう評した。

 「野球を愛し、試合は休まず、チームメート、ファンから尊敬された。酒に溺れることもなく、スキャンダルとは無縁で人格者。紳士として球界全体からリスペクトされた」

 ルースは野球の実力は誰もが認める「神様」だった半面、グラウンド内外での奔放過ぎる振る舞いが批判されることも少なくなかった。エイグ氏は、主砲としてヤンキースの黄金時代を築いた2人を比較し「ゲーリッグはルースとは全く違う性格だった。物静かでシャイ。注目を浴びるのは好きではなかった」と話した。

 二刀流というキーワードで重ねられがちだが、派手な私生活を送ることなくストイックに日々のトレーニングや調整に向き合う大谷の姿は、ルースのそれとは対照的だ。エイグ氏は「大谷は非常に気品があり、紳士。性格面ではルースよりもゲーリッグに似ていて、もし彼らがチームメートだったら親しくなっていたんじゃないか」と思いをはせた。

 ルースとゲーリッグの間には興味深いエピソードが残っている。1934年、2人は日米野球に参加。倹約家のゲーリッグは新婚旅行を兼ねてエレノア夫人を連れていったが、渡航中の客船で夫人が行方不明になった。慌てて捜し回ったところ、ルースの部屋でシャンパンを飲んで泥酔していた。2人の仲を疑ったゲーリッグは「もうルースが信じられなくなった」と激怒し、両スラッガーの関係がこじれたといわれる。

 ゲーリッグは球場のベンチにクッションが置かれたのを見て「野球選手は甘やかされるべきではない」と文句を言ったという逸話もあるほど、自らを律した。不幸にも35歳の若さで、後に「ルー・ゲーリッグ病」と呼ばれる「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を発症。手足などの筋肉が衰えていく中でも、より軽いバットを注文し続け、打撃フォームも変えながら試合に出続けていた。

 また、ゲーリッグも大学時代には投打の二刀流だったという。

 「メジャーで投打両方をこなす大谷は“Iron Horse”と呼ばれてもいい。ゲーリッグ同様、大谷は野球に真剣に取り組み、毎日プレーすることを望んでいる。プレーに対する真摯(しんし)な姿勢はゲーリッグに似ているんじゃないかな」(エイグ氏)

 6月2日はゲーリッグの命日。ルースの命日の8月16日にヤンキースタジアムで出場した昨年に続き、不思議な縁に導かれた大谷も、野球の神に愛された「Luckiest Man」なのだろう。

 ◇ルー・ゲーリッグ 1903年6月19日生まれ、米ニューヨーク市出身。ヤンキース一筋で1923~39年の17年間プレー。球宴に7度選出され、34年には3冠王。ア・リーグMVPを2度獲得し、6度のワールドシリーズ制覇に貢献した。通算成績は2164試合で打率.340、493本塁打、1995打点。41年6月2日に37歳の若さで死去。

 ▽大谷の77年ぶり快挙 大谷は2日のヤンキースとの第1試合に「2番・投手兼DH」で先発し、第2試合は「2番・DH」で出場。ダブルヘッダーで投手と打者でそれぞれ先発出場するのは、1945年に当時フィリーズのジミー・フォックスが9月2日のブレーブス戦で達成して以来77年ぶりだった。通算534本塁打を放って「史上最強の右打者」と呼ばれたフォックスの本職は一塁手。45年は第2次世界大戦の影響により選手が不足し、フォックスは通算10試合登板のうち9試合を現役最終年の同年に記録した。

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