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甲子園で選手同士の握手は松永怜一さんが初めてだった

[ 2022年5月13日 10:34 ]

松永怜一さん
Photo By スポニチ

 【悼む】アマチュア野球界の重鎮、松永怜一さんが亡くなった。晩年、松永さんの野球人生を振り返ってもらう企画で取材をお願いした。「どこに伺えばいいですか?」と聞くと、即座に「わざわざ来てもらうのは悪いから、私が会社に行きますよ」と電車を乗り継いで弊社にやってきてくれた。帰りに「車を用意します」と言うと、これも即座に「近くの駅まで送ってもらえれば」と電車で帰宅していく。本当に律儀な人だった。

 福岡の八幡高校では主将として1950年のセンバツに出場。準々決勝で韮山(静岡)と対戦。雨中の激戦は9回に逆転サヨナラ負け。ホームに整列した際、韮山の主将と思わず握手を交わした。甲子園大会で、選手同士が握手を交わしたのは松永さんが最初だった。

 法政一(現法政大高)堀越、法大、住友金属と監督を歴任。ロス五輪では金メダルも獲得した。堀越では厳しい指導に選手が寮から逃げ出す「暁の大脱走事件」も経験した。法大監督時代は投手から外野手に転向させた山本浩二(元広島)に全体練習後ノックを浴びせた。暗くて打球が見にくいためボールに石灰を塗り打ち続けた。「僕の左目が悪いのは浩二にノックをしたからなんです。打つ瞬間、石灰が散って左目に入るんです」と当時を振り返った。富田、田淵、山本の最強クリーンアップに「4年間、この3人には一度もバントのサインは出さなかった」というもの自慢だった。

 広澤克実氏(本紙評論家)が振り返っていた(13日付本紙)ロス五輪での打撃フォーム改造。不振の主砲にメスを入れる際、ロスから明大・島岡吉郎監督に国際電話をかけ「広澤のフォームを変えますがよろしいですか?」と許可を取ったという。「選手を預かっている以上当然です」と細かな配慮まで忘れなかった。悲惨な戦争体験も影響して指導は厳しく“鬼の松永”と言われたが根底には愛情があふれていた。

 野球にプラスになると思った新聞記事の切り抜き、気がついたことをメモする習慣はずっと続いていた。この切り抜きを定期的に多くの野球関係者に郵送し、その切手代だけでも相当な金額になっただろう。我が家にも松永さんから送られた切り抜きがある。本当に野球を愛し、アマ野球の発展を願っていたとあらためて思う。心からご冥福をお祈りします。(特別編集委員 落合 紳哉)

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