阪神「なべじい」が送った米国へ感謝のLINE 球団一鈍足の変則左腕を見守った恩人とは

[ 2022年5月4日 10:51 ]

4月30日の巨人戦で初勝利を挙げた阪神・渡辺
Photo By スポニチ

 投げるときに「よいしょ」と口にする。そのクセと、30歳の年齢が重なって、愛称が「なべじい」になったと想像している。阪神の新戦力、渡辺雄大投手のことだ。

 昨年オフにソフトバンクを戦力外になり、育成契約で阪神に入った。開幕前に支配下登録された。希少な左横手投げで、虎デビュー以来、10戦連続無失点。4月30日の巨人戦では、1イニングを抑えた後に味方が勝ち越したため、プロ初勝利が転がり込んだ。

 平坦ではなかったこれまでの野球人生。長くかかった「1勝」の感謝を伝えたい相手は、阪神の首脳陣、関係者だけでなく、他にもたくさんいるだろう。初勝利後のインタビューでは、前ソフトバンクのファーム投手統括コーチ、倉野信次氏(47)の名前を挙げた。武器の一つであるツーシームの活用をアドバイスされ、それが今に生きているそうだ。

 「30歳でのプロ1勝」の報告は、すぐに米国テキサス州に届いた。LINEのメッセージを見て、倉野氏は「本当に良かった」と喜んだ。同氏は著書「魔改造はなぜ成功するのか」(KADOKAWA)を出版。千賀を筆頭に、投手を次々と育てた敏腕コーチとして知られる。現在は米大リーグレンジャーズ傘下の2Aのチームで、本場のピッチング理論やコーチングを研修中だ。

 渡辺が17年育成ドラフト6位でソフトバンクに入り、21年で戦力外になるまで、倉野氏は同球団で指導にあたった。2人は青学大出身という共通点もある。ただし、先輩後輩の関係ながら、年齢が17歳も離れている上に、渡辺が大学時代に1度も公式戦に登板せず、独立リーグ時代はホームセンターのレジ打ちのアルバイトをしながらプレーをするような“無名”に近い存在だったため、倉野氏は「プロに来るまで知らなかった」そうだ。だが、初対面からしばらくして、その存在を覚えた。

 なぜなら、足が遅かったからだ。インターバル走をさせれば、いつもドベ。これではいけないと、渡辺に伝えた。

 「足が速い遅いが問題ではなかった。それよりも、私には苦手なことから逃げているように感じた。“速く走れないから、これぐらいでいいや”と諦めて走っているように見えた。しんどいところからもう1歩がんばれ。そんなことを伝えた」

 印象に残ったことがもう一つあった。スライダーだ。曲がり幅が大きく、プロでも簡単に打てる球ではないと、すぐにわかった。

 「プロで生き残るためには、“俺はこれで生きていく”という武器があるかどうかで決まる。それは、変化球でも、直球でも、コンビネーションでも、気持ちの強さでもなんでもいい。渡辺の場合、スライダーがオンリーワンの武器だった。26歳で入ったけど、“お前はまだまだ伸びる”。そんなやりとりをしたことを覚えている」

 ソフトバンク時代の渡辺は育成からはい上がり、中継ぎのポジションをつかみかけた。しかし、20年に左ひじを手術したこともあって、通算9試合の登板にとどまった。手術後はいい状態を取り戻せなかった。ドラフトで入る人がいれば、その人数だけ去る人が出るのがプロの世界。70人枠にとどまれるだけのアピール材料に欠き、戦力外になった。

 しかし、渡辺のひたむきな練習姿勢、左打者が手こずるスライダーは、首脳陣に評価されていたという。倉野氏は今年2月の渡米前に、著書の出版講演で、「渡辺は十分に力がある。このタイプの投手も少ない。阪神で活躍すると思う」と予想していた。そのとおりの活躍を、ここまで収めている。だからこそ、かつての教え子に「ここがゴールじゃない。彼のことだから、満足をすることはないと思うけど、成績を残したときこそ、守りに入らずに、攻める気持ちを忘れないでほしい」とエールを送った。

 紆余曲折続きの野球人生を送ってきた“なべじい”は、1勝をつかんだからこそ、「初勝利をしたけど、毎日同じ気持ちでマウンドに上がることが大事」と気持ちを引き締め直した。左打者だけでなく、鋭いツーシームを武器にして右打者も抑え、矢野監督の評価も「1イニングを任せられる」と高まっている。サクセスストーリーは、これからが本番だ。(阪神担当・倉世古 洋平)

続きを表示

2022年5月4日のニュース