【内田雅也の追球】「春風や」に思う原点 阪神としては流れが変わるきっかけにしたいだろう

[ 2022年4月8日 08:00 ]

試合中止となり、散り始めた桜の下を帰路につく阪神ファン(撮影・坂田 高浩)
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 野球を愛した正岡子規の名句の一つに「春風や まりを投げたき 草の原」がある。

 随筆集『筆まかせ 抄』(岩波文庫)によると、一高(今の東大)学生だった1890(明治23)年、東京・本郷にあった寄宿舎・常盤(ときわ)会から友人と板橋公園までつくし狩りに出かけた。帰り道、片町で植木屋が芝生を養生している広場を見かけた。<我ヽボール狂には忽(たちま)ちそれが目につきて、ここにてボールを打ちたらんにはと思へり>。野球好きなら誰しも分かる感慨だろう。

 それがこの日4月7日だった。132年後の今も、場所は甲子園でも、時空を超えて同じ感覚に陥る。そんな日だった。

 あたたかな午後、やや強めの春風が吹いていた。好天を呼ぶ浜風だった。甲子園球場周辺の桜は花びらを散らしていた。

 グラウンドで阪神が練習中、DeNAで多くのコロナ感染者が出たことが分かった。練習後には感染拡大防止のため、試合の中止が決まった。

 阪神の選手たちはどう思ったろうか。やりたかった、だろうか。いや、負けがこんでいる状況での中止をありがたいと思ったろうか。思わぬ形で早く帰宅でき、息をついたかもしれない。

 試合同様にペナントレースにも流れはある。1勝10敗とどん底状態にある阪神としては、こんな中止でも流れが変わるきっかけにしたいだろう。

 もちろん、仕方ないとはいえ、来場したファンは残念だったろう。この日は大阪や兵庫、滋賀、和歌山など近隣の小中高校で春休み最後の日だった。多くの子どもたち、家族連れが訪れていた。

 子どもたちに格好いい姿を見せる、野球の楽しさを伝える――というのが監督・矢野燿大の目標である。苦しいなか、もう一度思い起こしたい。

 選手たちも原点にかえりたい。「ボール狂」だった子規の姿勢だ。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』(文春文庫)に、子規が結核で松山に帰省療養中、病床を抜け出す光景がある。母・八重が三和土(たたき)に下りた息子に「ベースボール!」と悲鳴をあげる。「母さん、夕から気分がええもんじゃけれ、ちょっと連れざって行かせて賜(たも)し」

 野球選手はこうでありたい。=敬称略=(編集委員)

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2022年4月8日のニュース