巨人・堀田 直球勝負プロ1勝 19年ドラ1、右肘手術→育成経て3年目の初登板初先発で6回零封

[ 2022年4月1日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人6―3ヤクルト ( 2022年3月31日    神宮 )

<ヤ・巨3>力投する堀田(撮影・森沢裕)
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 巨人の堀田賢慎投手(20)が31日のヤクルト戦先発でプロ初登板し、6回5安打無失点の粘投でプロ初勝利を挙げた。19年ドラフト1位で入団しながら、1年目の4月に全治1年以上となる右肘じん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を余儀なくされた。その後は育成契約も経験した苦労人が、プロ3年目、ドラフト指名から896日目にして待望の白星をつかんだ。

 粘る。走者を背負っても、粘る。プロ初登板とは思えない落ち着きだった。堀田は初回、先頭の塩見に内野安打を許したが、続く青木の遊直が併殺に。3回は内山壮を投ゴロ、4回は村上を二ゴロ、5回にはオスナを三ゴロ。4度の併殺で傾きかけた流れを巧みに切った。最速147キロの直球とチェンジアップを駆使し、6回5安打無失点で踏ん張った。

 「家族、友達、トレーナーの皆さんのおかげで、やっと1軍の舞台で投げることができた。今日はうれしさをかみしめながらピッチングができました。(記念球は)両親に渡したい」

 サッカーボールと野球ボールを追いかけていた小学生の頃、父・郁雄さん(53)から「どちらかに決めた方がいい」と助言され、野球を選んだ。中2の秋。指導者から提案され、すぐに「挑戦したい」と投手を選んだ。投げ始めは「何でこんなにストライクが入らないんだろうと思うくらい、制球が悪かった」(郁雄さん)。まずは下半身強化。冬場は長靴で雪の上を走った。春には見違える制球力を手に入れた。青森山田では肉体改造に乗り出し、岩手県花巻市の実家から送ってもらった餅を胃袋に詰め込んだ。中学で120キロ台だった直球は、150キロを超えていた。

 ドラフト1位で入団した1年目の4月、右肘手術を余儀なくされた。1年以上に及ぶリハビリは「シャドーピッチングから入って、クリアしたらネットスロー。距離をだんだん延ばしていった」。オープン戦3試合で1勝0敗、防御率0.00と結果を残し、支配下復帰とこの日のマウンドにたどり着けた。

 ロッテ・佐々木朗、ヤクルト・奥川と同じ高卒3年目右腕は言った。「僕の代わりに他の投手もたくさんいる。(先発の)ポジションを奪われないように」。少し回り道したかもしれない。でも、あのとき野球を選んだことも、投手に挑戦したことも、手術を決断したことも、決して間違いじゃなかった。(川島 毅洋)

 ◇堀田 賢慎(ほった・けんしん)2001年(平13)5月21日生まれ、岩手県花巻市出身の20歳。1メートル86、85キロ。右投げ右打ち。

 ☆球歴 小1で野球を始め、中学時代は花巻シニアに所属。青森山田では甲子園出場なし。19年ドラフト1位で巨人入り。21年から育成契約となるも、今年3月11日に支配下契約に復帰した。

 ☆ライバル 同学年のロッテ・佐々木朗やヤクルト・奥川。「最終的に奥川や佐々木朗より大きな投手になれれば」

 ☆故障 入団1年目の4月に右肘のトミー・ジョン手術。昨年に3軍戦で実戦初登板し、自己最速の155キロをマーク。

 ☆持ち球 直球、カーブ、スライダー、チェンジアップ。フォークは肘への負担を考慮し、プロ入り後はあまり投げていない。

 ☆壮大な夢 ハワイやグアムなど世界中に家を建てるのが目標。野球では将来的なメジャー挑戦を視野に「日米200勝」を掲げている。

 ▼巨人・原監督(堀田の初勝利に)まだまだ彼の場合、20年ぐらい現役が続くだろうから。勝ち星が付いた、0点で抑えたというところが彼にとっても、チームにとっても非常に大きなこと。

 ▼堀田の父・郁雄さん(テレビ観戦し)うれしいの一言です。ドキドキどころじゃなかったです。野手の皆さん、つないでくれた投手の皆さんに本当に感謝です。野球は一人ではできないスポーツ。本当に感動しました。

 ≪先発無失点は槙原以来39年ぶり≫巨人投手のプロ初登板勝利は、19年4月4日阪神戦で新人の高橋がマークして以来だが、同投手は6回1失点。先発無失点での初登板勝利となると、83年4月16日阪神戦で2年目の槙原寛己(スポニチ本紙評論家)が10回を完封して以来チーム39年ぶりとなった。

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