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【内田雅也の追球】阪神優勝時にはあった「殺人体操」 野球のコーチも源流はトレーニング

[ 2022年1月19日 08:00 ]

阪神合同自主トレで「殺人体操」に取り組む村山実を後方で指導する松葉徳三郎氏(右)(1960年1月、甲子園球場)

 タイガースの球団創設当初、指導者と呼べるのは監督だけでコーチはいなかった。初年度1936(昭和11)年から39年までは監督・石本秀一と主将・松木謙治郎、エースで最高給だった若林忠志の3人が首脳陣として練習を指揮していた。40年、松木が監督に昇格すると若林が助監督、ともに選手兼任だった。

 そんな草創期でもトレーニングやランニング部門には外部からコーチを招いていた。阪神球団発行の『阪神タイガース 昭和のあゆみ』には、38年2月、甲子園で<ハードなトレーニングで知られたYMCA主事・松葉徳三郎が「殺人体操」で選手たちに悲鳴をあげさせた>との記述がある。

 松葉徳三郎は1903(明治36)年生まれ。関西大を卒業後、大阪YMCA体育主事となり、32年ロサンゼルス五輪視察時に南カリフォルニア大、スタンフォード大で体育指導の見聞を広めた。帰国後、母校関西大にアメリカンフットボール部などを創部している。

 「松葉式」トレーニングは道具を使わない徒手体操。独特のポーズで飛んだり跳ねたり……と1時間半以上かかった。

 「わしの趣味は」と後に語っている。「選手と名のつくヤツを泣かせることや」。ついた異名が「殺人体操」だった。

 松葉は法政大アメリカンフットボール部監督でハワイ出身、つまり若林と同郷同窓の保科進と交流があった。球団常務・田中義一とは同じ関西大OBである。人の縁で実現した指導だった。

 つまり、野球におけるコーチはピッチングやバッティングではなく、はじめはトレーニングやランニングだった。

 それが基本だからだ。阪急や近鉄を球団創設初優勝に導いた西本幸雄は阪急監督2年目の64年、キャンプ地・高知にいた日本陸連委員、高知市社会体育課長に指導を依頼していた。近鉄監督1年目の74年、まず指導したのは「走り方」だった。

 長々書いたのは18日、阪神のランニング指導に陸上のスペシャリスト、秋本真吾が帰ってきたと聞いたからだ。金本知憲が監督時代にキャンプで指導し、おおむね好評だったそうだ。良ければ、またやればいい。

 「殺人体操」の松葉は戦後、鶴岡一人の南海(現ソフトバンク)やバレーボール「東洋の魔女」となる日紡貝塚も指導した。阪神でも昭和30年代に復活。戦前も戦後も、阪神の優勝は松葉が指導中だった。 =敬称略= (編集委員)

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