阪神・淡路大震災から27年 被災した阪神・谷本球団副社長「忘れようにも忘れがたい記憶」

[ 2022年1月17日 12:00 ]

練習前に黙とうを捧げる阪神の選手ら(撮影・大森 寛明)
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 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から27年となったこの日、阪神は兵庫県西宮市の鳴尾浜球場で、1分間の黙とうを捧げた。佐藤輝、合同自主トレ中の新人を含め、選手と球団関係者を合わせて50人が出席した。スコアボードには半旗が掲げられた。

 自身も被災した谷本修球団副社長(57)は、「振り返れば長かったような、あっという間だったような。ちょうど長男が生まれたのが震災の年だったので、それから27年かと」と切り出した。
 震災当時、阪神電鉄の人事部に在籍。地震発生後、会社に無事を報告しようと公衆電話に並んだところ、「ちょうど今の私ぐらいの年代の男性が、頭から血を流して並んでおられて、その記憶が鮮明ですね」と体験を振り返った。

 西宮市内の自宅は無事だったものの、周囲は被害が大きい家屋もあったという。電車は止まり、その日は自転車で出勤。道中の尼崎市内は「ガス漏れのにおいがひどくて、ところどころで道路が隆起したり陥没したりしていた。忘れようにも忘れがたい記憶ですね」と、しみじみと語った。

 6000人超の犠牲者が出た震災の後に生まれた選手が増えた。谷本副社長は「地域のみなさんに受け入れられてのプロ野球球団だと思いますので、その思いをしっかり持ってプレーをしてほしいと思います。佐藤(輝)君も西宮市出身で、そこは強く持ってくれているようなので、嬉しく思います。野球をできること自体が、今のコロナもそうですけど、当たり前じゃないことを強く感じさせられた27年前なので」と、思いを込めた。 

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