ニグロリーグにも光当てた大谷の活躍…ルースより近い?“もう一つの野球史”に14勝&15発の先人

[ 2021年12月16日 05:30 ]

ニグロ・リーグ史上最高の二刀流選手と評されるブレット・ローガン(ニグロリーグ野球博物館提供)
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 【SHOHEI 2021 IMPACT(中)】エンゼルス・大谷翔平投手(27)の投打二刀流での活躍は、歴史の闇に埋もれていた多くのレジェンドたちに再び光を当てた。ベーブ・ルースとの比較がこれまで多かったが、特に米国の野球ファンを驚かせたのがニグロ(黒人)リーグの二刀流プレーヤーたちの存在。歴史的と称賛され満票でア・リーグMVPを受賞した今季の大谷に負けず劣らず、二刀流で大暴れしていた彼らについて、ニグロリーグ野球博物館のボブ・ケンドリック代表(59)が明かした。(大リーグ取材班)

 ケンドリック氏も大谷の二刀流での活躍に胸躍らせ、興奮し続けるシーズンを送った。「彼の成功を、自分のことのようにうれしく思っている。そして彼の活躍で、アメリカの人たちが往年のニグロリーグの二刀流選手に興味を持つようになった」と手を叩いた。

 ルースが1918年に残した13勝&11本塁打での2桁勝利&2桁本塁打。今季の大谷は9勝&46本塁打で103年ぶりにその偉業に迫り、注目を集めた。ただルースが本格的に二刀流でプレーしたのは、その年と翌19年の2シーズンだけ。ケンドリック氏は「大谷と比較するならルースではなく、ブレット・ローガンなんだ。私は以前からそう主張している」と語気を強めた。

 カンザスシティー・モナークスで「エースで主砲」だったローガンは1922年に14勝&15本塁打。24年には18勝&打率・396で初開催だったニグロリーグのワールドシリーズ制覇へ導いた。「リーグ初期の看板選手。足も速くて35歳で盗塁王(26盗塁)になったほど」と語った。

 35年の球宴にファン投票1位で選ばれ、「3番・中堅」で先発し、延長11回に救援登板したのが、キューバ出身のマーティン・ディーゴ。1メートル88の長身でハンサムだった。「容姿ではディーゴは翔平と同じ。映画スターのように華があり、人気者だった」。捕手以外全ての守備位置をこなし、「マエストロ」の異名を取った。

 驚異的なプレーの例として挙げたのが、32年のテッド・ラドクリフ(ピッツバーグ・クロフォーズ)。ダブルヘッダーで1試合目は捕手を務め、2試合目は完封を飾った。「ヤンキースタジアムでの試合。初戦はサッチェル・ペイジを完封に導き、2戦目は自分で完封してしまったんだ」

 なぜこれほど二刀流選手が多かったのか。リーグの厳しい財政事情が影響した。「メジャーのように4、5人のローテーション投手を組む余裕はなかった。ベンチ入り人数も限られ、大概18人以下。複数ポジションをこなすのが当たり前で、優秀なアスリートが多かった」。少しでもお金を稼ぐため、多く試合が組まれ、ダブルヘッダーも多かった。「記録にカウントされない試合も多かった。メジャー球団とも戦った。年間試合数は200には及んだと思う」。当時のニグロリーガーが野球だけで食べていくには、オフもなく年中プレーしなければならなかったという。

 人種差別という強大な敵とも闘い、過酷な労働環境だからこそ、二刀流の勇者たちはたくましかった。当時と野球のスタイルは大きく異なるが、大谷にも歴戦のニグロリーガーにも共通するのは、厳しい局面に屈しない精神と姿勢に違いない。

 ▽ニグロリーグ 人種差別が激しかった米国において、アフリカ系米国人を中心とした野球のリーグ戦。1920年から48年の間に7つの野球リーグが存在した。1947年に黒人初の大リーガーとしてジャッキー・ロビンソンがドジャースでデビューし大活躍すると、メジャー球団はニグロリーガーの引き抜きに走り、48年にニグロナショナルリーグが解散し、60年にニグロアメリカンリーグも消滅した。大リーグ機構は20年12月、かつてのニグロリーグの選手と成績も、大リーグのものとして扱うことを発表した。

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