ヤクルト名スカウト片岡宏雄さん “守備の人”古田、宮本が…「選手は獲ってみなきゃ分かんねえ」

[ 2021年12月14日 05:30 ]

数々の名選手をプロへ導いた片岡さん
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 ヤクルトのスカウト部長を務めた片岡宏雄(かたおか・ひろお)さんが6日に千葉県船橋市の施設で老衰のため死去した。85歳だった。11日に家族葬を行った。立大から59年に中日入りし、国鉄(現ヤクルト)へ移籍。63年の引退後は新聞記者、ヤクルトのコーチを経てスカウトに転身した。古田敦也ら幾多の名選手を次々に発掘。野村克也監督が率いた90年代の黄金期の礎を築いた故人を、スポニチ本紙・秋村誠人専門委員(59)が悼んだ。

 こんなふうに訃報を聞くとは思っていなかった。最愛の妻に先立たれ、数年前から施設で生活していた片岡さん。コロナ禍で外出もままならなくなり、体が弱って食事もできなくなったそうで、ご遺族によると、最期は多くの人に見守られながら眠るように、静かに旅立ったという。

 90年にヤクルト担当になって以来、本当にお世話になった。立大野球部の後輩ということで可愛がってもらった。ちょうどヤクルトの黄金期を築いたころだ。古田敦也、高津臣吾、宮本慎也、稲葉篤紀ら。「メガネの捕手は大成しない」という野村監督を押し切ってトヨタ自動車の古田をドラフト2位指名。立命大4年時に指名漏れした悔しさを知っているから「古田に必ず指名すると約束した。だから絶対に譲れなかった」と話していた。

 そんな情熱と、独特の勝負勘を持った人だった。関西出身ながらべらんめえ口調で「選手は獲ってみなきゃ分かんねえよ」が口癖。守備は超一流と信じて指名した古田と宮本は2000安打を達成した。「本当に分からんもんだな」と笑っていたが、辣腕(らつわん)スカウトの神髄がそこにあったと思う。

 勝負師らしく賭け事も大好き。よく競馬場にご一緒した。馬券を外すと「競馬も野球と一緒だな。走ってみなきゃ分かんねえ」。毎年欠かさなかったダービーと有馬記念もこの2年はコロナ禍で行けなかった。「いつも一緒に行くのを楽しみにしてましたよ」。ご遺族からそう聞いた。本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

 ◇片岡 宏雄(かたおか・ひろお)1936年(昭11)6月15日生まれ、大阪市出身。浪華商(現大体大浪商)で捕手として甲子園に3度出場。立大では、長嶋茂雄(現巨人終身名誉監督)らの1年後輩で3、4年時に東京六大学リーグ4連覇を達成。中日、国鉄(現ヤクルト)でプレー。63年の引退後は新聞記者、ヤクルトバッテリーコーチを経てスカウトに。若松勉、尾花高夫、池山隆寛らを発掘。スカウト部長、編成部長を歴任して03年12月に退社した。

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2021年12月14日のニュース