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東京ガスを初の日本一に 山口太輔監督が実践した「敗戦からの再出発」

[ 2021年12月10日 09:06 ]

<Honda熊本・東京ガス>初優勝し山口監督を胴上げする東京ガスナイン(撮影・久冨木 修)       
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 敗戦を糧に、日本一に駆け上がる。その思いだけだった。

 東京ガスの山口太輔監督は、17年12月に監督に就任。18年に都市対抗に出場したが、19、20年は出場を逃した。壁を破れない時期が続く中、ENEOS・大久保秀昭監督、NTT東日本・飯塚智広監督、JR東日本・堀井哲也監督(現慶大監督)ら、都市対抗で優勝経験のある指導者を訪ねて回った。

 「優勝も負けも経験している。どう跳ね返して日本一になったのか。そのエッセンスを知りたくて、お話を聞きにいった。日本一になるまで何をやったのか。話を聞いていて、チームに何が足りないのかを本気で考えているんだなと知って、僕もやらないといけないと。マネだけではなくて、今は僕のオリジナルになってきたと思う」

 自身は現役時代、慶大から東京ガスに進んだ。「入社1年目に4番で使ってもらっていたんですけど、都市対抗直前のオープン戦でケガ。2年目もめちゃめちゃ調子良かったんですけど、守備で打球を当てて鎖骨の複雑骨折。そこから都市対抗に出られない。攻撃では軸として使ってもらっていたけど、代表が取れなかった」と回想する。

 転機は引退する09年だった。大量の新人が加入し、チームが若返った。ベンチスタートが増えたことで「途中から行く難しさ、苦しさを10年目で味わえた」。スタメンで出る選手だけで野球をやっていても、勝てない。控えの選手がチームのために、と思えないと勝てないことを知った。

 同年の都市対抗で、1打席だけ打席に立った。結果は代打で遊飛だった。「それが最初で最後。経験できて良かった」と感謝する。

 指揮官として2年連続で都市対抗出場を逃した昨年、「“やらせてください”とお願いした。監督の力量がなくて勝てなかっただけだったので」と今年に懸けた戦いが始まった。

 選手には「利他の精神」を伝え続けている。「自分さえ良ければいいというのはだめ。野球を辞めてからも、必要とされる人間にならないと」。レギュラーも控えも経験したことは、チームづくりに生かされてる。

 チームとして初めての舞台となった都市対抗決勝戦は、9回にHonda熊本の猛攻を受け、3ランで1点差に。さらに連打で2死一、二塁のピンチを背負った。それでも、左腕・宮谷を信頼し、宮谷は空振り三振を奪って応えた。

 山口監督は浮かれることなく、試合後の整列に一番に並んだ。ヒーローインタビューを受け「ホンダ熊本さんの攻撃に敬意を表したい」と言った。

 敗戦からの日本一。憧れの指揮官たちと同じ景色を見た。ライバルチームも黙ってはいない。来年の戦いは、すぐに始まる。(川島 毅洋)

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