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「痛い、もう伸びない」 阪神ドラ5・岡留が涙した父との特訓の日々 幼少期は野球センス目立たず

[ 2021年12月8日 05:30 ]

阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」5位・岡留(上)

小学6年の王貞治杯・九州学童軟式野球大会で投手を務める岡留
Photo By 提供写真

 阪神がドラフト会議で指名した計8選手(育成ドラフト含む)のプロ入りまでの道のりをたどり、素顔に迫る連載「猛虎新時代の鼓動」は8日からドラフト5位・岡留英貴投手(22=亜大)を2回にわたって紹介する。父・邦英さんと二人三脚で心身両面を鍛え上げた幼少期が、最速150キロ右腕の土台となった。

 英貴は岡留家の長男として生を受けた。姉2人、妹1人。女きょうだいに挟まれて育った。そして幼い頃から父・邦英さんがコーチを務めていた「兼城パイレーツ」の練習に連れられて、野球と接した。物心つく前から、父と二人三脚だった。

 3歳頃から6歳までは水泳を習ったが、小学校入学を機に野球とてんびんにかけ「野球の方が楽しい」となった。小学1年で軟式少年野球チーム「兼城パイレーツ」入団。しかし現実は甘くはない。待っていたのはコーチでもある父の熱血指導だった。クラブでの練習は週4日。加えて英貴には練習後や練習休日も自宅でティー打撃やトス打撃などの“おかわり”特訓が待っていた。まさに野球漬けの日々が幕を開けた。

 当時は主に一塁手。ただ体の硬さがネックだった。きわどいタイミングをアウトにするため送球に対して体を目いっぱい伸ばして捕球する柔軟性が求められるポジションだが、それができなかった。そこで全体練習後に父との柔軟運動も“メニュー”に加わった。「痛い、もう伸びない」。涙を流しながら、懸命に努力を重ねた。

 プロ野球選手と言えば幼少期から「群を抜いていた」逸話に彩られがち…だが、英貴の場合は少し違う。身体能力面は周囲に比べて見劣りするくらいだった。たとえばベースランニングをすれば一塁を回った時にスタートする後続の選手にゴール地点で追い抜かれる光景も、しばしば…。そのたびに父からは厳しい指導を受けたが、決して音を上げなかった。心底、野球が好きだったからだ。

 「きつかったですけど、週末の紅白戦とかが楽しみで、辞めようとかは思わなかった」

 打撃ではフルスイングが身上。とはいえボールは前に飛ばず、代わりにバットだけがベンチに向かって飛んでいくことも多かった。でも、楽しい――。常に全力で野球と向き合った。体に恵まれていたわけではなく天才的な才能があったわけでもないが、父に鍛えられた強い精神力で「野球」に食らいついた。

 そんな英貴が初めて投手を務めたのは、小学3年の頃だった。地肩が強かったこともあり、勧められてマウンドへ。だが制球難だった。当時コーチを務めていた宮城博也さんは「紅白戦で英貴が投げたら3連続四球とか、とにかくコントロールが大変だった」と振り返る。その時点では目を引くパフォーマンスを演じることなく、公式戦ではほとんど一塁が定位置だった。

 チームの主力に成長した小学6年時には一塁手兼投手として熊本で行われた「王貞治杯 九州学童軟式野球大会」で優勝。6年間を有終の美で締めくくった。英貴の野球人生においての転機は、その先に待っていた。 (長谷川 凡記)

 ◇岡留 英貴(おかどめ・ひでたか)1999年(平11)11月7日生まれ、沖縄県出身の22歳。兼城小1年から「兼城パイレーツ」で野球を始める。兼城中では軟式野球部。沖縄尚学では2年秋からベンチ入りも甲子園出場なし。亜大では1年秋にリーグ戦デビューし、中大2回戦で初登板初勝利。リーグ通算40試合6勝5敗、防御率2.91。1メートル80、87キロ。右投げ右打ち。

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