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阪神ドラ1・森木はどん底からはい上がった男 甲子園を逃した失意、左足首故障を成長の糧にした

[ 2021年11月30日 05:30 ]

阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」1位・森木(中)

「スーパー中学生」として注目を浴びた森木は高知高に進学し、1年生からエースとして甲子園出場を目指した
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 恩師である浜口佳久監督は、6年間にわたり二人三脚で歩んできた右腕をこう評した。

 「向上心の塊です」

 何よりも妥協の2文字を嫌う。ひとたび目標を定めれば、常に高みを目指し続けた。謙虚な姿勢を失わなかったからこそ、周囲から認められ、慕われた。味方を鼓舞し、相手チームまでをも思いやる。学内で人気者だった背景には、そんな人柄がある。

 浜口監督との出会いは、小学6年生の頃だった。高知県選抜の一員に選出された大智は、仲間との親睦をはかるためバーベキューに参加。そこに当時、高知中で指揮をとっていた浜口監督が姿を見せ、練習見学に誘った。「非常に細身ではあったんですけど、バランスのいい体をしていた」。高知中は中学軟式では同県の明徳義塾中と並ぶ全国屈指の強豪校。一度練習見学をしただけで、大智は入学を決意した。

 類いまれなる運動能力は両親から受け継いだ。父親は野球、サッカー、相撲などさまざまなスポーツを経験。母親はバレーボールに打ち込んだ。骨太の体格から繰り出される直球に、中学生は手も足も出ない。3年時には全国大会で春夏連覇。軟球で中学史上最速となる150キロをマークしたことで、「スーパー中学生」として全国の注目を一身に浴びた。

 史上最速の中学生は高知高を何度、甲子園に導くのか。同時に就任した浜口監督とともに輝ける未来を思い描いたが、甲子園はどこまでも遠かった。

 1年夏は高知大会の決勝で明徳義塾に敗退。コロナ下による2年春夏の甲子園大会中止を経て、満を持して臨んだ2年秋の四国大会は初戦で高松商に敗れた。最上級生となり初の甲子園切符を手にするはずが、選抜出場は絶望的となりメンタルはどん底に落ちた。紅白戦でも打ち込まれる日々が続き、悔し涙を流すこともあった。「とにかく結果に一喜一憂していたので。テーマがストレートだったらぶれずに。内容、過程をちゃんとしなさい」。監督、トレーナーと試行錯誤を重ねる、長い冬が続いた。

 転機は翌年の2月下旬に訪れた。紅白戦で左足首を捻挫。だが、ピンチをチャンスに変える。踏み出す左足の着地を丁寧に踏み込むことで、力感がなくなった投球フォームが完成した。故障から復帰し、迎えた春の四国大会決勝・明徳義塾戦。9回無死満塁で救援登板すると、自己最速となる154キロをたたき出した。

 上昇気流はさらに続く。夏の高知大会を目前に控えた6月。四国銀行のレギュラークラスと、シート打撃で対峙(たいじ)する機会に恵まれた。プロ野球を頂点としたピラミッドに例えるならば社会人野球は2ランク上のカテゴリー。しかも、前年12月の都市対抗野球では8強入りを果たしていた強豪だ。腕試しには絶好の舞台。自慢のストレートを投げ込むと、各打者は「あのストレートは打てません」と舌を巻いた。

 終わってみれば、安打性の打球を1本も打たせなかった。ラストチャンスに向け、深まる自信。高知大会を順当に勝ち進み、明徳義塾との決戦が待ち受けていた。(石崎 祥平)

 ◇森木 大智(もりき・だいち)2003年(平15)4月17日生まれ、高知県土佐市出身の18歳。蓮池小1年から蓮池ホワイトシャークでソフトボールを始め、3年時から高岡第二イーグルスで軟式野球を始める。高知中では軟式野球部に所属し3年春夏の全国大会で優勝。高知高では1年春の四国大会からベンチ入り。1年夏には背番号1をつけたが、甲子園出場は一度も果たせなかった。1メートル84、90キロ。右投げ右打ち。

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