ヤクルト・高津監督の凄さ 5つの野球を経験した男「9回の重さはどこも一緒。だから楽しい」

[ 2021年11月28日 05:30 ]

SMBC日本シリーズ2021第6戦   ヤクルト2ー1オリックス ( 2021年11月27日    ほっと神戸 )

<オ・ヤ>胴上げされる高津監督(撮影・岡田 丈靖)
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 ヤクルト・高津監督は5つの「プロ野球」を経験している。これほど文化やレベルが異なる野球に関わった監督はいないだろう。通算286セーブを挙げた日本、ホワイトソックスで「ミスターゼロ」と呼ばれた米国。さらに韓国、台湾と渡り、史上初めて4つのプロリーグでセーブを挙げた。11年からは独立リーグのBC新潟でプレーした。

 印象に残っている言葉がある。「環境やレベルの違いはあるが、9回の重さはどこも一緒。だから楽しい」。韓国では毎日食堂に並ぶキムチが苦手で、ピザばかり頼んだ。台湾では洗濯機を購入しただけで新聞で報じられるなど「日本の名球会投手」として迎えられたが、野球用具は自分で球場に運び、体育館で着替えることもあった。07年オフにヤクルトを自由契約になった時は38歳。指導者の道を歩んでもいい年齢だったが、再び日本を飛び出した。「せっかくしんどい思いをしている。この経験は今後の役に立つと思うし、大きな財産になる」。当時、そう話していた。

 BC新潟2年目は兼任監督として、初の独立リーグ日本一に導いた。二回り近く年齢が離れた選手たちのために、コンビニで大量のおにぎりを買い込んで球場に行った。NPBを目指す若者に寄り添い、小さなことにも耳を傾けた。これが指導者としての原点だ。

 村上や第2戦で完封した高橋は2軍監督時代に徹底的に鍛え上げた選手。チームの和を重んじ、外国人選手とのコミュニケーションも大事にする。どんな苦しい状況でも冷静に物事を見ることができる。だから「絶対大丈夫」という簡単な5文字が「魔法の言葉」となり、ナインに安心感を与えている。

 野村IDを受け継ぐ緻密な野球と、5つの「野球」を知る経験から来る懐の深さ。14年にコーチとしてヤクルトに戻ってくるまでの6年間の野球放浪の旅が、「監督・高津臣吾」の礎になっている。(編集局次長・甘利陽一)

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