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【内田雅也の追球】激闘の合間に思う「沢村」と「夫婦」 戦争とコロナ下、野球がある幸せ

[ 2021年11月23日 08:00 ]

沢村栄治の名も刻まれている鎮魂の碑
Photo By スポニチ

 虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)の『風よりつらき』=『パスキンの女たち』(清流出版)所収=は、伝説の大投手、沢村栄治を妻の視点で描いている。

 近鉄監督だった西本幸雄はこの小説をあの「江夏の21球」(1979年日本シリーズ第7戦)で敗れる前に読んでいた、と思っている。移動の新幹線車中ではよく『オール読物』を愛読していたと野球記者でもあり、近鉄監督の先輩でもある芥田武夫が書いていた。小説の初出は同誌1979(昭和54)年11月号で、発売はシリーズ期間中だった。

 <「よし、今度は、おだいが流してやる」

 おだいというのは栄治が自分のことを指していう時の言葉だった。宇治山田の言葉らしかった。

 栄治はわたしの背後にまわった>

 入営数日前の描写である。沢村には3度目の赤紙(召集令状)が届いていた。夫婦で入浴する光景は同じく沢村を扱った映画『不滅の熱球』(1955年=監督・鈴木英夫)でも描かれている。

 沢村は44年12月1日、輸送船に乗り門司港を出航。翌2日未明、米潜水艦の雷撃を受け、台湾沖に沈んだ。27歳だった。

 日本シリーズ移動日だった。上京し、第3戦からの舞台、東京ドームに足を運んだ。敷地内に建つ「鎮魂の碑」を拝んだ。沢村をはじめ戦没したプロ野球人の名前が刻まれている。コロナ下、野球がある喜びを思う。

 小説にある。<男は何回この世に甦(よみがえ)ることだろう。栄治は野球が盛んになれば、ますます、この世に復活し、やがては永遠の生命をかちえるにちがいない>

 確かに、今もその年最高の投手に贈られる「沢村賞」として生きている。この日発表があり、山本由伸(オリックス)が受賞した。全会一致、文句なしの選出だった。

 また「いい夫婦の日」でもあった。山本は捕手・若月健矢とともにスポニチ本社制定の最優秀バッテリー賞も受賞している。沢村と妻は特に会話せずとも、わかり合えていた。小説ではそんな夫婦の姿が、戦争の悲しみとともに伝わってくる。

 今回のシリーズは高津臣吾が元投手、中嶋聡が元捕手。バッテリー(夫婦)の大切さを知る指揮官同士でもある。夫婦の対決なのだ。

 先に書いたように、西本は激闘の合間、沢村の夫婦の物語で心を休めていたのだろう。オリックスもヤクルトも東京に移動し、心と体を休めた。ヤクルトの先発投手陣のみ軽く練習しただけだった。さあ、激闘再開である。 =敬称略= (編集委員)

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