鷹一筋15年 高谷引退会見「意外とすっきり、大満足」 常勝支えた良妻、今後は2軍バッテリーコーチに

[ 2021年11月2日 05:30 ]

引退会見を終え、ナインに胴上げされる高谷(撮影・中村 達也)
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 ファンに愛された生え抜き捕手が、現役生活に別れを告げた。ソフトバンクの高谷裕亮捕手(39)の引退会見が1日、ペイペイドームで行われた。バッテリーを組むことが多かった和田毅投手(40)とは惜別のキャッチボール。近年は“抑え捕手”として常勝軍団を支えてきた男は、今後2軍バッテリーコーチとして球団に残り、第二の野球人生を歩む。

 高谷はユニホーム姿で登壇し、穏やかな表情で「意外とすっきりしています。練習も制限がかかる中で試合に出る環境をつくっていただいた。それを考えたら時が来たのかな。成績は胸を張って言える数字ではないが、ここまでやれたことに大満足です」と話した。

 本拠地での全体練習前にナインへ報告。松田の呼びかけにより胴上げされた。満面の笑みで背番号と同じ12回、宙に舞った。

 平らな道のりではなかった。昨季、手術した古傷の左膝の状態が悪化。朝、起きてまず膝の確認。満身創痍(そうい)で戦ったが、出場は20試合にとどまった。それでも、主に抑え捕手としての存在感は唯一無二だった。

 鷹ひと筋15年。10月26日に戦力外通告を受け、「少し時間をもらって、家族と話し合い、顔を見て決めた」と決断の経緯を明かした。

 印象に残っているゲームがある。3年目の09年4月3日オリックスとの開幕戦。プロ初の開幕マスクでバッテリーを組んだのは、和田だった。14奪三振に導く好リードで勝利に貢献。「開幕ってこんなに独特の雰囲気なんだなと感じた」と回想した。その後も盟友として活躍した2人は40歳・和田―39歳・高谷の“おっさんずバッテリー”として今季も鷹党から愛された。

 今後は2軍バッテリーコーチとして再スタートを切る。高谷は理想の捕手像を語った。「変化に気づく、いろんなことを見る。気づいたことを人に言うことでコミュニケーションにつながる」。捕手に必要な見る、気づく、話すの3つをポイントにあげた。

 8年ぶりのBクラスに終わった常勝軍団の再建のため、ひと肌脱ぐ覚悟だ。「とにかく時間を無駄にしないでもらいたい。きついと思う時はあるけど、それでも時間は限られている。みんなにうれしい瞬間を迎えてほしい」。若手捕手には、海野、谷川原、九鬼らがいる。25歳でプロ入りした苦労人が、甲斐に続く捕手を育て上げる。(福井 亮太)

 【高谷に聞く】

 ――15年間のプロ野球生活。
 「けがに始まって、けがに終わった感じ。1年目の終盤にファームで左膝をケガして、最後もファールチップを顔に受けて脳しんとうで抹消された。その中でも腐らず自分のできることをやり続けた」

 ――自身で誇れるところは?
 「何があってもしっかり準備ができたこと。そこは体調によって強弱はあるが、コツコツできたかな」

 ――家族と話し合って整理できた?
 「引退するにあたってどうやってユニホームの姿を見せられるかを考えていた。ユニホームで会見させていただけることはありがたい」

 ――今後の人生の方が長い。どんな人生に?
 「今までは自分と家族のためだった。これからは選手のためなので頭の使い方が変わってくる。僕も勉強しながらになると思う」

 ――セレモニーキャッチ。和田さんの存在は?
 「ひと言で言うと凄い。年齢関係なく練習されるし、背中で語ってくれる。アドバイスをくれる懐の深さがあって、自分のことはやり通すプロフェッショナルですね」

 ◇高谷 裕亮(たかや・ひろあき) 1981年(昭56)11月13日生まれ、栃木県出身の39歳。小2で野球を始め、栃木・小山北桜から富士重工。故障で退社し、1浪後に白鴎大に入学。06年大学・社会人ドラフト3巡目でソフトバンク入団。プロ通算643試合で打率.194、201安打、10本塁打、101打点。1メートル78、83キロ。右投げ左打ち。

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