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2000安打の西武・栗山 全てを野球に懸けた努力の天才 わざわざ球場から遠い場所へ引っ越し

[ 2021年9月5日 05:30 ]

パ・リーグ   西武5―8楽天 ( 2021年9月4日    楽天生命 )

<楽・西>通算2000本安打を達成して中村(左)から花束を贈られる栗山(撮影・白鳥 佳樹)
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 西武・栗山巧外野手(38)が4日の楽天戦(楽天生命パーク)の9回、左前打を放ち、史上54人目となる通算2000安打を達成した。プロ20年目、2041試合目での到達。球団の生え抜き選手では初めての達成となった。安打数、二塁打、犠飛など、球団の数々の打撃部門でトップに立つ背番号1。ドラフト4巡目入団からコツコツと積み上げた金字塔だった。

 雲に覆われた仙台の空の下、回ってきた9回1死の第4打席。栗山は「せっかくなんで、牧田投手から引っ張って記念になるようなホームランを」と珍しく一発を狙っていた。カウント1―2からの4球目。95キロのカーブを「巧」みに、逆方向の左前へ。「意識していないけど、うまいこと自分の理想通りのバッティング。こんなこともあるんだな、面白いな」。数え切れないほど練習して染みついたスイングが、節目の一打となった。

 04年9月24日、同年限りで消滅した近鉄最後のホームゲームで小池からプロ初安打の右前打を放った。「1」から17年、6189日。球団史上初の生え抜き選手での偉業を達成した。「やるんやったら一番になれ」こそが栗山家の教育方針。小学生時代は、日没後も車のヘッドライトに照らされながらバットを振った。中学生時代は「これぐらい練習しないとアカン」と指導者が、マメだらけの両手を周囲に見せるほど。コツコツと練習を重ねる才能は、プロでも同じだった。

 2軍暮らしの続いた時代から、ときには日付が変わるまで打ち続けた。老朽化が進んだ球団施設にも「練習面と食事面。いいことしかなかった」。高卒選手は5年で退寮の決まりも「まだいさせてください」と球団に寮暮らしの延長を直訴。実現しなかったが、全てを野球に懸けていた。

 常に野球優先。住まいさえも、野球のために替えた。利便性を優先し、球場から車で20~30分の場所に住んだこともあったが、約1時間半の自宅を選んだ。「試合後に運転して帰る時間は、反省やいろいろ頭を整理する貴重な時間。家が近い時はそれができなかったので、遠くに引っ越したんです」。10年オフに3歳年上の深咲夫人(40)と結婚した際には「野球のことは考えないでほしい」と頼んだ。愛車での気持ちの整理は、家に野球を持ちこまないという約束を自ら守るための家族への愛情表現の一つだった。

 だが、35歳を超えたここ数年、経験を積み変化があった。「思ったようにいかへん」と自分の弱さも受け入れるようになった。自宅では夫人と試合の動画を見ることも増え「よかった」「あかんかった」と言い合い、分かち合うことを新たな力に変えた。両親、息子も球場で見守ったこの日、雄姿を届けた。

 同年代の多くの選手がFA移籍する中、西武一筋を貫いた。16年オフ。「権利を持っているだけで“もしかしたら出ていってしまうのかも”と思われるかもしれない」と海外FA権を行使して残留。昨オフは37歳で異例の3年契約を結んだ。大台に到達したこの日、改めて自身に言い聞かせた。「本当に通過点だと思う。ここからだぞ、と。ここから本当の勝負が始まる時だと思う」。生涯ライオンズを貫く背番号1が、「1番」に2000の数字を刻んだ。(花里 雄太)

 ◇栗山 巧(くりやま・たくみ)1983年(昭58)9月3日生まれ、兵庫県出身の38歳。育英では甲子園に2度出場し2年夏に4強。01年ドラフト4巡目で西武入り。3年目の04年に1軍デビュー。08年に初めて規定打席に到達し167安打で最多安打。08、10、11、20年ベストナイン、10年ゴールデングラブ賞を獲得。12~16年に主将を務めた。1メートル77、85キロ。右投げ左打ち。

 《球団創設72年目で初》栗山(西)が4日楽天戦の9回に牧田から左前打を放ち、プロ野球54人目の通算2000安打達成。初安打は04年9月24日の近鉄戦で小池から。初安打から2000安打目までをプロ入り球団で記録した選手は31人目。西武では前身球団も含め72年目で初めて。また、各球団の生え抜き2000安打打者誕生に要した年数は最速がロッテの創設19年目で、68年に榎本喜八(当時東京)が到達。西武は達成者なしの楽天を除けば阪神(83年藤田平)、オリックス(83年福本豊=当時阪急)の各47年目を25年も上回り最も遅い。

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