教え子はオマーン五輪代表 「日本の心」伝えた和歌山県高野連会長 母の国で挑む晴れ舞台

[ 2021年7月26日 09:15 ]

オマーン日本人会・日本人学校の運動会のリレーで競り合う小学生時代のイサ・アルアダウィ選手(左)と中村憲司校長(2013年1月18日、ホテル・インターコンチネンタル・マスカット)=中村憲司さん提供=
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 【内田雅也の広角追球】和歌山県高校野球連盟(高野連)会長の中村憲司さん(58=和歌山商高校長)が中東の国、オマーン五輪代表の競泳選手、イサ・アルアダウィさん(22=中京大4年)にエールを送った。「東京という舞台で、オマーンと日本の懸け橋になってほしい」

 アルアダウィさんは父・サミールさんがオマーン人、母・宏子さんが日本人。オマーンの首都マスカットで生まれ育った。小・中学校時代、オマーン日本人学校(補習授業校)で在留邦人の児童とともに学んだ。小学校3~6年生だった2009~13年、同校で校長を務めていたのが中村さんだった。

 「シャイな人が多いオマーンにあって、イサは特にピュアな心の持ち主でした。まじめで掃除も率先してやる子どもでした。やさしいので年下の児童からは慕われ、イケメンなので女子に人気がありました。運動神経が抜群で、サッカーがうまく、校内のあこがれの存在でした」

 夏の甲子園を目指す高校球児の戦いが続く和歌山・紀三井寺公園野球場で当時を思い返した。

 現地日本人会・日本人学校の合同運動会でリレーで競い合って走った。学校行事でホワイトビーチの海岸でキャンプを張った。砂漠に穴の空いたオアシス「シンクホール」に飛び込んだ。

 5歳のころからホテルのプールで水泳に親しんだ。抜群の運動神経ですぐに頭角を現した。競泳選手として13歳からオマーン代表に選ばれ、国際大会に出た。自由形でオマーン記録を次々打ち立てた。

 学業も優秀で、まさに文武両道だった。将来は医師になるという目標があった。父はオマーン最高学府スルタン・カブース大、そしてハーバード大卒で精神科医をしている。姉も医師だった。

 高校時代、進路を決める際、奨学生として海外留学もできた。アルアダウィさんが選んだのは競泳での留学だった。2020年五輪開催地が東京と決まっていた。「母の生まれた国で五輪の舞台に立ちたい」との思いが募っていた。

 中村さんは少年時代、和歌山リトルリーグの中堅手だった。1968年、リトルリーグ・ワールドシリーズを制し、世界一となったチームで、中村さんが最上級の75年当時、関西大会を春夏連覇。連日深夜まで練習し「本気で世界を目指していた」。世界を夢見るアルアダウィさんの気持ちはよく理解できた。

 ただ、オマーンの競泳競技力は高くない。設備は環境も整っているとは言いがたい。スポーツの国費留学先に選んだのは日本の中京大。2018年に来日。愛知県豊田市の水泳部寮に入った。

 文化も習慣も異なる生活。レベルの差は大きく、練習にもついていけなかった。「イサがホームシックにかかっている」と耳にした中村さんは心配になった。草薙健太コーチ(36)に電話し「シャイでマジメで……」と本人の性格やオマーン人の習慣などを説明し、サポートを頼んだ。

 さらに、かつての日本人学校の教え子に声をかけ「イサを励ますために同窓会を開こう」と提案した。アルアダウィさんは練習や合宿続きで、ようやく18年年末、名古屋駅前のレストランで実現、10数人が集まった。本人からオマーン時代の思い出や東京五輪出場の夢を聞いた。「イサは元気になっていました。競泳で五輪に出た後は、医学部に入学しなおして医師を目指したいと話していました」

 中村さんは校長時代、日本人の美点を説いた。「日本人は、まじめにコツコツ努力します」「自分の主義主張を押しつけようとせず、全体をみて調整、協調しようとします」……。日本での生活に、教えが生きていたようだ。「努力」「協調」の精神でがんばってきたアルアダウィさんは今年6月、見事、五輪オマーン代表に選ばれた。「君たちは日本とオマーンの懸け橋となりなさい」と繰り返し説いた教えを体現することになった。

 今月23日の開会式では旗手を務めた。中村さんは24日に電話で「これまで練習してきたことを存分に発揮してください」と、高校野球和歌山大会開会式でのあいさつと同じ言葉を伝えた。

 アルアダウィさんが出る100メートル自由形予選3組は27日夜7時すぎ、スタートする。 (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。本編で取り上げた中村憲司さんは和歌山リトルリーグ時代のチームメート。大会前夜、宿泊先の旅館で就寝中、掛け軸が額に落ち、頭部を縫いながらプレーしていた。寡黙で素朴な「ケンちゃん」は熱い闘志を秘めた選手だった。

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