“俺も朗希世代”広島・玉村プロ初星&初タイムリー!! チーム19戦ぶり先発勝利で最下位脱出に貢献

[ 2021年6月19日 05:30 ]

セ・リーグ   広島7―4DeNA ( 2021年6月18日    東京D )

<D・広9>7回2失点でプロ初勝利を挙げた広島先発の玉村(撮影・島崎忠彦)
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 広島・玉村昇悟投手(20)は、リーグ戦再開初戦だった18日のDeNA戦で自己最長の7回を2失点10奪三振と好投し、自身5度目の先発でプロ初勝利を挙げた。ロッテ・佐々木朗、ヤクルト・奥川らと同学年の高卒2年目。チームでは5月19日、巨人戦の九里以来19試合ぶりとなる先発の勝利投手となり、最下位脱出に貢献した。

 初登板から50日。玉村は、この短期間ですくすくと成長し、先発5試合目でのプロ初勝利につなげた。

 「やっと試合をつくれるようになったことは成長かな」

 初登板だった4月29日のDeNA戦(マツダ)ではソトとオースティンに被弾。その助っ人からそれぞれ2三振を奪って雪辱を果たした。「前回本塁打を打たれているので、丁寧にいこうと思っていた」。前回対戦で有効活用できなかったチェンジアップを多投して成長を示した。

 7―2の7回2死一、二塁の打席では代打を送られずに、自己最多115球を投げ切った。佐々岡監督は「もうひと段階成長するためにも7回を投げてほしかった。次へのステップに向けた期待に応えてくれた」と説明。続投は指揮官からの期待の表れだった。
 「ずっと勝てていなかったので勝ちたいと思っていた。勝ててよかったです」

 弱点が運命を変えた。出身の福井県越前町にある中学硬式野球チームは、実家から離れた場所にある練習場を拠点にしていた。「車酔いするから毎日車で通うのはしんどいかな」。クラブチームでの活動を諦めて中学校の軟式野球部に入部した。決して強豪とは言えず、周囲とのモチベーションの差に悩んだときは父・健一さんから伝えられた「自分で選んだ道。自分の考え方次第で何とかなる」との言葉を思い出した。

 高校では強豪私立への進学も選択肢にあった。このときも決め手は同じ。「車に酔うから近所じゃないと…」。甲子園出場経験のない公立校・丹生への進学を決断し、入試の面接試験では校長先生、硬式野球部・春木竜一監督らの前で「高卒でプロ野球選手になります」と宣言した。3年夏の県大会では52奪三振の新記録を樹立。公言通り高卒でのプロ入りを実現させた。広島生活の誤算は、2軍大野寮から由宇球場までチームバスで約45分もかかること。車酔いも乗り越えて進歩した。

 打っては2回に同点となるプロ初適時打。初星と初打点の記念球は、いずれも福井の実家に送る。「もっともっと勝ちたい」。勝利の味が若ゴイをさらに成長させる。(河合 洋介)

 【玉村選手はこんな人】

 ☆生まれとサイズ 2001年(平13)4月16日生まれ、福井県越前町出身の20歳。1メートル77、77キロ。

 ☆球歴 宮崎小4年から「宮崎ファイヤーズ」で野球を始める。丹生では1年春の県大会から背番号17でベンチ入りし同秋からエース。

 ☆右利き 投げること以外は全て右利き。幼少期は両投げだったが、初めてのグラブを購入する前に左投げ専念を決断。

 ☆カニ 出身の福井県越前町は「越前ガニ」が名物で玉村家の食卓に並ぶことも珍しくなかった。入団会見では「越前ガニと(広島は)一緒の赤。その赤に負けないような投手になりたい」との名スピーチで沸かせた。

 ☆共通点 球団OBの大野豊氏(本紙評論家)と同じ「身長1メートル77」「左投げ」。昨年の2軍デビュー戦は6連打を許して1死も奪えずに降板したものの、同氏も1軍初登板は1死しか奪えずに5失点。大投手につながる吉兆の降板だったかもしれない。

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