【TG戦2000試合企画(2)】川藤、中畑両OB会長が忘れられない小林繁さんの闘志

[ 2021年5月16日 07:30 ]

「春団治」川藤氏VS「絶好調男」中畑氏―OB会長リモート対談

巨人・中畑清OB会長(右)とリモート対談を行った阪神・川藤幸三OB会長
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 プロ野球を盛り上げてきた阪神と巨人の伝統の一戦、2000試合目は巨人が勝利した。阪神OB会長・川藤幸三氏(71)と巨人OB会長・中畑清氏(67、スポニチ本紙評論家)は、ともに82年4月18日の後楽園での1000試合目に現役として出場した間柄。節目の熱戦を見届けながら、それぞれの若かりしころに思いをはせた。(構成・永瀬郷太郎、鈴木 光)

 川藤 村山さんに江夏、長嶋さんや王さん。多くの選手が執念を燃やした、この戦いやけど、特別な思いを強く持っていたという点ではコバ(小林繁)やったなあ。

 中畑 小林さんの存在感は強烈。憧れの選手だったし、トレードのときには「なんで」という思いが強かった。キャンプに向かう羽田空港で突然呼び出されて、球団に戻っていく姿は衝撃でした。

 川藤 甲子園のロッカーの横がコバやったんや。最初は「格好いいやつの横は嫌や」と言ったんやけど、マネジャーが「おまえなら何か感じる。一挙手一投足を見とけ」と言われて隣同士になって見てたら、試合に向かう気迫が違った。さすがやなあと思わせられた。

 中畑 移籍1年目の79年に巨人戦8連勝。確かに凄かった。

 川藤 1年たってから「話がある」と言われて、ホテルの一室で飲みながら、2人で話をした。「巨人は長嶋さんでも王さんでも組織の一員だと教育される。でも阪神は我(が)が強い。組織になってないから勝てない。オッサンがそこを変えてほしい」とコバに言われたんや。

 中畑 初耳ですね。小林さんと仲が良かったのは知ってたけど、そんなことがあったんですか。阪神で信じられるのは川藤さんだと思ったんですね。

 川藤 戦う上でのハートの部分でコバはいろんなものを残してくれた。掛布雅之も刺激を受けて、一段二段と上の選手になったからな。あんなトレードで「なんでオレが出されたんや」という思いがないはずはない。でも、一言もそれについては言わんかったな。

 中畑 江川も常に背負っていた。彼もあの事件で変わった。チームのために、というのを強く持った選手になったと思います。

 川藤 悪者にされたけど、江川は悪者やない。当時の大人たちの政治が悪かった。そして巻き込まれたコバの存在が85年の日本一につながったんや。ワシの役目はベンチで「ここはバントちゃうやろ」「なんでピッチャー代えるんや」と吠えること。監督の言うことを素直に聞くやつはいないから、補欠の先輩がワーワー言った方がいい。そう思っていたんや。

 中畑 あのころの甲子園はナイターでも昼前からスタンドはいっぱい。練習ではヤジられてばかり。巨人ファンも「悔しかったら勝ってみろ」と返してたけど。小林さんの時代の82年が1000試合(4月18日)だったんですね。先輩は代打で角盈男から死球を受けてますよ。

 川藤 そんなん覚えとるかい。でも懐かしいなあ。(続く)

 ◆川藤 幸三(かわとう・こうぞう)1949年(昭24)7月5日生まれ、福井県出身の71歳。若狭から67年ドラフト9位で阪神入団。主に代打の切り札として活躍し、86年に現役引退。通算成績は771試合で打率.236、16本塁打、108打点。90、91年に阪神総合コーチなど。右投げ右打ち。愛称は「浪速の春団治」。

 ◆中畑 清(なかはた・きよし)1954年(昭29)1月6日生まれ、福島県出身の67歳。安積商(現帝京安積)から駒大を経て、75年ドラフト3位で巨人入団。89年に現役引退。通算成績は1248試合で打率.290、171本塁打、621打点。93、94年に巨人打撃コーチ、04年アテネ五輪では日本代表ヘッド兼打撃コーチ。12~15年にDeNA監督。右投げ右打ち。愛称は「絶好調男」。

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