【内田雅也の追球】阪神が失点した「一、三塁」という難局 2000試合の歴史飾る敗戦

[ 2021年5月16日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神3-5巨人 ( 2021年5月15日    東京D )

<巨・神> 2回1死一、三塁、炭谷(右)に勝ち越しの中前適時打を浴びる伊藤将 (撮影・光山 貴大)
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 阪神の失点はすべて一、三塁からだった。投手はすべて先発・伊藤将司である。順に記す。

 ▽1回裏2死一、三塁。重盗で一塁走者挟殺の間に三塁走者生還。
 ▽2回裏1死一、三塁。炭谷銀仁朗に中前適時打。
 ▽5回裏2死一、三塁。ジャスティン・スモークに逆転3ラン被弾。

 重盗や、無死や1死ならスクイズ、セーフティースクイズ、時に一塁走者とのヒットエンドランもあろう。守備側は相手の作戦への対応も迫られる。一、三塁は難しい局面である。

 初回に重盗で同点を許していたこともある。5番打者スモークでも重盗をしてきたわけで、自然と作戦への警戒心は強まる。2回裏の炭谷打席では1球ごとに巨人のサイン伝達の時間が長く、何か仕掛けてくるかもしれないとの心理的重圧もあったのではないか。

 1960―80年代、大リーグ・オリオールズ一筋に17年間指揮を執った名将、アール・ウィーバーが残した名言に「野球は投手力、守備力、そして3ラン」がある。3ランを期待するのは「満塁を嫌う投手の投球が甘くなる」との意味だ。

 炭谷適時打、スモーク3ランはともに3ボール2ストライクのフルカウントからで、真ん中近辺に甘く入った。名言の通り、四球を嫌っての失投だったと言える。阪神監督・矢野燿大も敗戦後「フォアボールも出したくないし、というところで甘くなったのはあるけど……」と口にしている。

 伊藤将は勝利投手の権利まであと1死から3連打を浴び、敗戦投手となった。野球記者になって37年目、こうした悲劇は幾度も見てきた。

 巨人―阪神戦は2000試合目の節目だった。あと1死、あと1球から崩れた投手など数えきれぬほどいた。

 あの江夏豊も完封まであと1死から王貞治に逆転3ランを浴びている。1971(昭和46)年9月15日の甲子園。2―0とリードの9回表2死二、三塁。速球を右翼ラッキーゾーンに放り込まれた。これもフルカウントだった。

 1死、1球の怖さを身をもって知るわけだ。貴重な体験である。新人・伊藤将も、連綿と続く、勝負の歴史に仲間入りしたのである。

 一方で、作家・伊集院静が<百万回やっても同じゲームは一度としてない>と『逆風に立つ』(角川書店)に書いている。<日々、ヒーローはかわり、日々、勝者と敗者は生まれる。今日は敗れたが、明日は必ず打ち砕いてやる>。そんな気概やドラマがある。それが<真の価値であり、希望なのである>。

 阪神は確かに敗れたが、最後の最後まで追いすがった。伝統の一戦らしい好勝負であった。 =敬称略= (編集委員)

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2021年5月16日のニュース