【TG戦2000試合企画(1)】両軍OB会長が明かすライバル意識 巨人ベンチにも充満した特別な空気

[ 2021年5月15日 07:00 ]

「春団治」川藤氏VS「絶好調男」中畑氏―OB会長リモート対談

巨人・中畑清OB会長(右)とリモート対談を行った阪神・川藤幸三OB会長
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 阪神と巨人。伝統の一戦として多くのファンの注目を集めた戦いが15日、2000試合を迎える。プロ野球発足の1936年7月15日、愛知・名古屋市内にあった八事山本球場での初対戦(阪神8―7巨人)からの戦いの歴史、それに燃えた男たちの生きざま、そしてこれから…。阪神OB会長・川藤幸三氏(71)と、巨人OB会長・中畑清氏(67=スポニチ本紙評論家)がリモート対談で熱いトークを繰り広げた模様を3連戦中、掲載する。(構成・永瀬郷太郎、鈴木 光)

 中畑 いよいよ2000試合目ですね。改めて歴史を感じます。

 川藤 そうやなあ。巨人戦は現役、OBとしてずっと見てきたけど、こんな節目に居合わせられるのも、特別な感じがするわ。

 中畑 コロナ下の戦いですが、多くの人に元気と勇気をこれからも与えてほしい。本当にそう思います。

 川藤 一度聞きたいと思っていたんや。伝統の一戦と言われるけど、巨人側からしたら、阪神戦に特別な思いはそんなにないんと違うか。思っているのは阪神だけ。そんな気がしてたんや。

 中畑 先輩、そんなことないですよ。個人的にも初安打も初本塁打も初4番も、申し訳ないですけど、みんな阪神戦。山本和行さんからの初安打(77年7月31日)は忘れられない。中前打の後、土井正三さんが遊ゴロ併殺に倒れたんですが、ベンチで「悪かったな。お前の初安打を生かせなくて」と土井さんに言っていただいたのが一生もんの思い出なんです。巨人の一員として、選手のつながりの素晴らしさを阪神との戦いが教えてくれた。試合後、甲子園の土をスパイクケースに入れて持ち帰ったんですよ。

 川藤 そうなんや。特別な思いを持ってくれてるというのはうれしいもんや。ずっと伝統の一戦や、打倒巨人やと言い続けてきたけど、これって独りよがりで、巨人からしたら、そんなことないんと違うかと思っていたんや。

 中畑 いやいや。阪神戦は特別だと、ベンチにいても、そういう空気がありましたね。充満してましたよ。

 川藤 ワシらも入ってすぐに先輩たちから「巨人戦で活躍するまでは阪神の選手とは言えん」と言われたからな。補欠やけど、どんな場面でもいい、守りだけでも、走りだけでも巨人戦に出たいと思って、練習しとったなあ。V9の年、巨人と阪神が優勝争いをしていて、10―10のドローとなった試合(73年10月11日)に9回の守備だけ出たのは、忘れもせん。試合に出れた喜びは大きかった。

 中畑 聞いてますよ。その後に、勝った方が優勝という決戦が甲子園であったんですね。

 川藤 名古屋での中日戦で忍法金縛りにかかって、勝てなかった。巨人を乗せた新幹線がそのとき、球場横を通過したんやな。そして甲子園決戦や。

 中畑 多くの先輩たちの戦いの積み重ねがあって、今の盛り上がりがあるんです。

 川藤 いよいよ2000試合目か。絶対に忘れたらあかん名前があるで。

 中畑 それは誰ですか。(続く)

 ◆川藤 幸三(かわとう・こうぞう)1949年(昭24)7月5日生まれ、福井県出身の71歳。若狭から67年ドラフト9位で阪神入団。主に代打の切り札として活躍し、86年に現役引退。通算成績は771試合で打率.236、16本塁打、108打点。90、91年に阪神総合コーチなど。右投げ右打ち。愛称は「浪速の春団治」。

 ◆中畑 清(なかはた・きよし)1954年(昭29)1月6日生まれ、福島県出身の67歳。安積商(現帝京安積)から駒大を経て、75年ドラフト3位で巨人入団。89年に現役引退。通算成績は1248試合で打率.290、171本塁打、621打点。93、94年に巨人打撃コーチ、04年アテネ五輪では日本代表ヘッド兼打撃コーチ。12~15年にDeNA監督。右投げ右打ち。愛称は「絶好調男」。

 《巨人は61年、阪神は72年にOB会設立》両球団のOB会は巨人が61年、阪神が72年に設立。巨人の初代会長はプロ野球の創設に尽力し、日米野球でベーブ・ルースを日本に呼んだことでも有名な鈴木惣太郎が務めた。阪神は初代監督・森茂雄の提案で72年開幕直前の3月12日に発足。初代会長に松木謙治郎が就任した。巨人はその後、水原茂、中島治康、川上哲治、別所毅彦、藤田元司、長嶋茂雄、王貞治、柴田勲が務め、中畑氏は第10代会長。阪神は藤村富美男、梶岡忠義、田宮謙次郎、安藤統男、田淵幸一と続き、10年に川藤氏が第7代会長となった。

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