【内田雅也の追球】阪神・近本は5月に生まれ変わる 開幕不振の昨年、復活告げた30試合目が訪れた

[ 2021年5月2日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神-広島(3回表終了降雨ノーゲーム) ( 2021年5月1日    甲子園 )

<神・広(7)降雨ノーゲーム>初回無死、近本は遊ゴロに倒れる(左は一塁手・クロン)(撮影・坂田 高浩)
Photo By スポニチ

 甲子園球場の関係者エレベーターで阪神オーナー(本社会長)・藤原崇起(たかおき)と乗り合わせた。大型連休中、ノーネクタイの軽装だった。春雷と豪雨でノーゲームとなった後で「こんな雨も珍しいですなあ」と笑っていた。

 
 いつも笑顔の藤原だが、昨年開幕当初は眉間にしわが寄っていた。今年はチームが快調で上機嫌のようだ。

 上空に寒気襲来の天気予報通りだが、試合前は青空ものぞいていた。5月、甲子園のさわやかなデーゲームを楽しみにしていたが、仕方ない。

 『われに五月を』(日本図書センター)という寺山修司のデビュー作がある。この作品集のなかに<きらめく季節に/たれがあの帆を歌ったか>と始まる『五月の詩・序詞』がある。<僕の少年よ さようなら><二十才 僕は五月に誕生した>

 20歳のころの寺山はネフローゼという腎臓の重い病にかかり、生死の境をさまよっていた。闘病は長期にわたり、早大も中退となった。

 寺山が生まれたのは1935(昭和10)年12月10日。<五月に誕生した>には、生まれ変わろうとしていた思いがあったろうか。作品集を自ら<僕の内で死んだ一人の青年の葬(とむら)いの花束>と説明している。

 今の阪神にも5月に生まれ変わろうとしている選手がいる。近本光司である。

 目下、打率2割2分2厘、出塁率2割6分と、打撃成績下位に低迷している。ノーゲームとなったこの日も、1回裏先頭で遊ゴロに倒れていた。

 昨年も同様に開幕から打撃不振だった。今と同じ29試合時点(昨年7月25日)で打率1割9分4厘と規定打席到達者で最下位に沈んでいた。当時は5試合連続で先発メンバーから外れていた。

 そんな昨年、復活を告げたのは30試合目の7月26日中日戦(ナゴヤドーム)。1番中堅で先発復帰し、シーズン初の4安打を放った。最終2割9分3厘まで上げ、2年連続盗塁王となった。

 この日は雨で流れたが今季30試合目だった。生まれ変わる時が来た、とみている。

 寺山は青森での少年時代<一日として野球をしない日はなかった><それほど、野球が好きであった>と『野球の時代は終(おわ)った』に書いた。<少年たちはホームをめざす>と82年4月発行の『毎日グラフ』選抜高校野球増刊号に寄せた文章を保存している。

 近本は、寺山にみえる野球の原点を知っているはずだ。少年時代、毎日、白球を追い、本塁生還を目指した。阪神1位指名を受けた2018年のドラフト会議当日、大阪ガス今津グラウンド(西宮市)で取材したのを思い出す。淡路島での少年時代、8歳から野球を始め、父や兄の後を追って、野球のとりこになったと聞いた。

 今年も打撃不振ながら現段階で得点18とセ・リーグ6位の数字を記している。昨年4安打の日に語った「自分らしく」を思い返したい。=敬称略=(編集委員)

続きを表示

2021年5月2日のニュース