数字以上に鮮烈な記憶を残したギャレットさん 球宴3発、外国人捕手、そして広島の「顔」に

[ 2021年4月24日 12:09 ]

1979年4月。試合前練習で言葉を交わすエイドリアン・ギャレットさん(右)と中日に所属したウェイン・ギャレット

 広島の歴史を振り返る時、ギャレットさんの名前は絶対に外せない。在籍は1977年からの3年間。35、40、27本と長打力では期待に応えながら、打率は・279、・271、・225と、確実性にはやや欠けた。ただ、それを補って余りある勝負強さがファンの心をつかんで離さなかったのだ。

 それを証明したのが、1978年の球宴第1戦だった。王貞治(巨人)、山本浩二(広島)田淵幸一(阪神)ら球界の大スターがスタメンに顔を並べる中、「7番・左翼」で先発出場。地元広島の熱狂的な声援を受け、史上初の3本塁打を放ち、MVPに輝いた。ギャレットさんの「本領」といっていい。

 さらにチームのために、体を張る「献身性」も持ち合わせていた。古葉竹識監督に請われ、在籍1年目の77年に11試合、78年に1試合の計12試合に捕手として公式戦出場。投手とのコミュニケーションに苦しみながら、必死でリードし、苦境を救った。

 在籍3年目の1979年には、実弟のウェインも中日へ入団。兄弟選手として話題を呼んだ。主に山本浩、水谷、衣笠ら強力クリーンアップの後ろを任され、球団初の日本一に貢献。その年限りで広島を退団した。

 気さくで誠実な人柄と、フォア・ザ・チームを体現できるスピリットで、だれからも愛された助っ人。ギャレットさんの勇姿はいつまでも野球ファンの記憶に残り続ける。

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