【内田雅也の追球】阪神・藤浪決勝弾を呼んだ「確信」の二盗 梅野の走塁に抱いた“予感”

[ 2021年4月17日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2ー0ヤクルト ( 2021年4月16日    甲子園 )

<神・ヤ>5回、阪神・梅野は二盗を決める(撮影・坂田 高浩)
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 米女性作家、ドリス・カーンズ・グッドウィンの『来年があるさ』(ベースボール・マガジン社)はニューヨーク・ブルックリン時代のドジャースへの愛着がつづられている。本拠地エベッツ・フィールド近くで暮らしていた6歳の少女時代、ラジオ中継を聴きながら毎試合、父親にもらった真っ赤なスコアブックをつけていた。帰宅した父親にその日の試合内容を伝えるのだ。

 「ほら、見てごらん!」とスコアを手に父親が言う。「ロビンソンが二塁でしつこくピッチャーの気を散らしたから、次の2人のバッターがフォアボールで出塁して満塁さ。これがロビンソンのすごいところなんだ」

 ジャッキー・ロビンソンである。この日(米国時間15日)は「ジャッキー・ロビンソン・デー」だった。1947年のデビュー記念日で、大リーグでは全選手が背番号「42」でプレーした。

 同じく米作家、ロジャー・カーンの『夏の若者たち』(訳・佐山和夫、ベースボール・マガジン社)は1950年代のドジャース黄金期を描いている。著者はニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙の番記者だった。

 ロビンソンは盗塁王2度の俊足だった。三盗も本盗もやった。ただし、彼は盗塁を多く記録しただけではない。カーンは<走塁は単に投手を脅すだけでなく、投手にベストピッチをさせない働きをする>と記している。

 そんな走者がこの夜の阪神にいた。梅野隆太郎である。5回裏2死一塁で二盗し、続く藤浪晋太郎の決勝弾を呼んだ。

 2死で打者が投手なら普通、盗塁はない。失敗すれば次の回は投手からの打順となる。それでも走ったのである。

 チーム盗塁数はセ・リーグ最多17個目だった。素晴らしいのは盗塁成功率で、2回裏、ジェリー・サンズが憤死した二盗が今季初の盗塁失敗だった。足の遅いサンズまで走った背景には根拠があるはずだ。けん制のクセでも分かっていたのか。石川雅規はクイック投法はほとんど使わず、投球タイムは平均約1秒3と遅い。けん制をかいくぐり、スタートさえ切れれば成功の確率は高い。

 一塁ボックスに立つ外野守備走塁コーチ・筒井壮に新たに「分析担当」の肩書が加わっている。分析による確信があったと書いておきたい。

 0―0の中盤、1点勝負だ。走者を得点圏に進め、単打も許せない状況で相手バッテリーを追い詰めた。梅野はリード、第2リードをを広めに取って本塁を狙っていた。

 むろん打ち気の藤浪は追い込まれてから、低めシンカーを2球続けて見極めた。ベンチで監督・矢野燿大が「ゾーンを上げろ」と低めを捨てるよう動作で指示していた。

 フルカウントとなり、勝負の内角直球は藤浪も読めたのではないか。見事に仕留めたのである。もちろん打撃は見事だが、アシストした走者がいたのも確かである。

 梅野でもう一つ。7回裏2死、右飛落球で三塁まで奪った姿勢である。

 この日4月16日はまた、阪神日本一となった1985年、巨人戦(甲子園)で、4回裏2死一塁、遊飛落球で岡田彰布が長駆(ちょうく)、同点の生還を果たした日でもある。翌17日が、あのバックスクリーン3連発だった。

 凡飛でもあきらめずに力走し、悠々本塁を駆け抜けた岡田の姿に、監督・吉田義男をはじめ、選手や裏方まで多くの者が「今年はいける」と予感した。今や伝説の走塁だが、いま、同じ予感を抱いている。=敬称略=(編集委員)

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2021年4月17日のニュース