【内田雅也の追球】なぜマルテは生還できたのか 6秒79 阪神決勝点の背景にあった走塁技術

[ 2021年4月5日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神3-1中日 ( 2021年4月4日    京セラD )

<神・中>6回2死一、二塁、陽川の左前適時打で本塁に滑り込む二走・マルテ(撮影・坂田 高浩)
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 阪神決勝の生還を果たしたジェフリー・マルテの走塁を再現してみる。

 1―1同点の6回裏2死一、二塁。陽川尚将の左前打で二塁から還った。中日がリプレー検証をリクエストしたほど際どい生還の背景には多くの要素が詰まっていた。

 1ボール2ストライクと「ストライク・スタート」の状況だった。二塁走者は投球コースがよく見える。ストライクと見れば、打球に関係なくスタートする。見逃しや空振りで三振なら3死で攻撃が終わるからだ。

 マルテは第2リードをシャッフルして広めに取り、左腕・小笠原慎之助の緩いカーブが高めから低めに入ろうとした瞬間に1歩目を切った。コンマ何秒かを稼いだ。

 陽川の打球はゴロとなり、三遊間を抜けた。左翼手・滝野要が前進チャージして捕球するのと、マルテが三塁ベースを蹴るのはほぼ同時だった。ただ、マルテは背後で見えない。判断は三塁ベースコーチ・藤本敦士が下し、右腕を回していた。

 一般的に走者は回るつもりで三塁を蹴る。もし、コーチが無理だと判断した場合、走者が回った直後にストップをかけることができる。だが、この時、藤本の腕は回り続けていた。

 澤宮優の『三塁ベースコーチ、攻める。』(河出書房新社)に「三塁コーチは割りの合わない商売です」と、あるコーチの話が出ている。「二塁走者を一本のヒットでホームに突っ込ませ、セーフになっても褒められることはない。走者の好走塁と賞賛(しょうさん)されます。アウトになったら、三塁コーチの判断ミスと滅茶苦茶(めちゃくちゃ)に批判されます」

 責任重大な仕事だが、この時の藤本の「回れ」指示は好判断だったと称えられていい。

 さらに光ったのはマルテが三塁を回った後、外側に膨らむのを抑えた点だ。京セラドームはフィールド部分は緑色の人工芝だが、走路は茶色になっている。マルテはその茶色の部分とどまって走っていた。藤本も膨らみを抑えるように、3、4歩前に出て、腕を回していた。

 藤本が現役だった2007年12月22日、尼崎(現あましん)アルカイックホールで開かれた現役プロ野球選手による高校球児に向けたシンポジウム「夢の向こうに」を思い出す。2003年に始まった、日本野球機構(NPB)、日本プロ野球選手会、日本高校野球連盟が合同で主催した、プロ・アマの壁を取り払った画期的な活動である。

 会場に集まった兵庫県の高校球児に向け、走塁面を担当した藤本は二塁走者が単打で本塁を目指す際、多くの球児が大きく膨らんで走っていると指摘した。「三塁手前で少し力を抜き、小さく鋭く回る方が本塁到達は速い」と、壇上にベースを置いて実践して見せた。全力疾走ばかりが好走塁ではないと教えた。

 この技術をコーチとなった今も伝えているのだろう。これでまたコンマ何秒を稼いだ。

 私事だが、当時指導していた少年野球チームで二塁から本塁への走塁でこの三塁手前での「脱力」を検証してみた。全力で駆け、大きく膨らむよりも、少し力を抜いて小さく三塁を回る方がタイムは速かった。

 本塁送球はワンバウンドで正確だった。マルテは右足から滑りこんだ。次打者・梅野隆太郎が両手を2度3度下におろし「まっすぐ滑れ」と回り込む必要がないと指示していた。この「本塁コーチ」の判断も正しかった。

 テレビのVTRを見直しながら、手もとのストップウオッチで計ると、陽川のインパクトの瞬間からマルテの本塁生還まで6秒79だった。一般に二塁から本塁への走塁タイムは6秒8が生死の分かれ目とされる。

 鈍足と言えるマルテが間一髪で生還できた背景には多くの要素が積み重なっていた。=敬称略=(編集委員)

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