【内田雅也の追球】厚い「選手層」示した阪神 控え選手働いての競り勝ちは本物

[ 2021年3月21日 08:00 ]

オープン戦   阪神2ー1オリックス ( 2021年3月20日    京セラD )

6回無死二塁、送りバントを決める北條
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 1990年代のいわゆる暗黒時代――この呼び方には抵抗感があるが――でも、阪神フロント陣は毎年、開幕前に「Aクラス」と予想する戦力分析を行っていた。オーナーはじめ電鉄本社に提出リポートに記していた。当時の球団幹部から直接聞いた話である。

 「あれには、ちょっとしたからくりがありましてね」と、裏事情があった。「6球団のレギュラーだけを比べた戦力分析でした。実際に戦う時は代打や代走、守備固めの控え選手、救援投手陣……もっと言えばファームまで含めた全軍の戦力を比べるべき。まあ、そこは、ちょっとね……」

 オーナーが「優勝争いできるチーム作り」を厳命していたなか、球団として開幕前からBクラスや最下位を予想するリポートは書けなかった。

 当時の本社―球団の関係から、苦しい事情はよく分かった。それでもフロントや現場の監督や選手たちは必死だった。懸命に勝利を目指して日々戦っていた。あの青春時代を結果だけで「暗黒」と呼ばれては悲しい。

 ただ、現実は厳しかった。90年代、最下位が5度、Aクラスは92年の1度きりだった。本社報告とは正反対だが、実際は戦力通りの結果だった。

 前半は互角だが、後半から終盤にかけての競り負けが目立った。90、91年は5回あるいは7回までの勝敗は互角だった。シーズン後半になると、息切れしていった。

 問題は先発9人ではなく、試合途中から出ていく10人目以降の選手がいかにそろっているかだ。

 この点で言えば、2―1と目指すべき、ロースコア接戦をものにした20日のオリックス戦で際だったのは途中出場した選手の奮闘だった。

 5回まで両先発の快投で0―0。勝負の後半で阪神がもぎ取った得点は、6回裏無死二塁での代打・北條史也が決めた送りバントが効いた先取点と、7回裏1死一、三塁で代打・糸井嘉男が放った中前勝ち越し打の決勝点だった。

 救援陣は岩貞祐太、岩崎優、ロベルト・スアレスの必勝継投。守備陣は途中出場の高山俊、板山祐太郎、植田海が複数ポジションを難なくこなして、やりくりした。

 この日は20人が出場したが、さらに選手を繰り出しても戦えた。キャンプから熾烈(しれつ)だったレギュラー争い、1軍争いが示すように選手層が厚いのだ。

 スポーツ、ゲーム、ギャンブル、投資、兵法……など、勝負師の世界に詳しい、自称「勝負ごと研究家」の折茂鉄矢に『「勝負強さ」の研究』(PHP文庫)がある。初版発行は1981年と古いが、教えは今にも通じている。このなかに<持てる武器のすべてを使え 戦いは総力戦>とある。宮本武蔵の二刀流について<生命をかけて闘うとき、持っている道具のすべてを駆使すべきであろう>と記している。阪神は戦力を駆使したわけだ。

 もちろん、佐藤輝明の目測誤りや北條との中継ミスもあった。大山悠輔の悪送球もあった。それでもオープン戦終盤に1点差で勝ちきった勝負強さは自信となる。

 阪神フロント陣は、あの球団独自の予想を今もやっているだろうか。少なくとも本社への報告はしていよう。今年は堂々「優勝」「優勝争い」と書けるはずである。=敬称略=(編集委員)

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2021年3月21日のニュース