【内田雅也の追球】「見巧者」の拍手

[ 2021年3月6日 08:00 ]

オープン戦   阪神4ー0ソフトバンク ( 2021年3月5日    ペイペイドーム )

<ソ・神>3回無死二塁、糸原は一ゴロで走者を進める(撮影・岡田 丈靖)
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 一塁でアウトになった阪神・糸原健斗が三塁ベンチに帰る際、スタンドから拍手がわき上がっていた。阪神としては今春初めてのオープン戦、初めて観客のいる試合だった。初めて耳にする歓声やざわめきのなかに、凡打への拍手があった。

 3回表無死二塁での進塁打である。糸原は1ボール―2ストライクと追い込まれながら、石川柊太の外角低めへの「バックドア」スライダーに腕を伸ばし、引っかけた。しぶとく右方向へ転がし走者を進めたのだ。その犠牲的精神や貢献をたたえる拍手だった。

 イチローが大リーグ・マリナーズ入りした初年度に感じた喜びのなかに進塁打への拍手があった。2001年6月1日のデビルレイズ(現レイズ)戦(シアトル)。2―2同点の5回裏無死二塁、二ゴロで走者を三塁に進めた。後の勝ち越し決勝点につながった。

 「ランナーが二塁でセカンドゴロを打つと、今までは、なんだ、セカンドゴロか、という反応しかありませんでしたが、こちらではランナーを進めたことに拍手をしてくれます。みんなが喜んでくれることで、こういうことも悪くないと思えちゃうんですよね」

 石田雄太『イチロー、聖地へ』(文春文庫)にあるイチローの言葉である。20年前の日本のプロ野球では進塁打への賛辞や拍手も少なかったかもしれない。

 いや、昔も今も、アメリカでも日本でも、目の肥えたファンはいる。歌舞伎や芝居には、その世界に通じている客を意味する、見巧者(みごうしゃ)という言葉もある。

 ただ日本ではラッパや太鼓の鳴り物応援や合唱に静かな拍手はかき消される。この日は鳴り物はなく、観衆も人数制限されており、ふだん目立たぬ拍手が聞こえたのだ。

 先の書に当時のマリナーズ監督、ルー・ピネラの言葉がある。「ヒーローだけでは試合に勝てない。チームとして戦って初めて試合に勝てる。そして、そんな試合がヒーローを生みだすのだ」

 そんなフォア・ザ・チームの精神は監督・矢野燿大が最も重要視する。その心を体現できる選手が糸原なのだ。だからこそ、2番の強打者を置く打線が流行するなか、つなぎの2番を任せる。
 あの打席も無死一塁で迎え(この時は初球で決めたが)近本光司が走るのを待ち、追い込まれても何とかする。見巧者の目に映る打者である。 =敬称略=
 (編集委員)

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2021年3月6日のニュース