【阪神新人連載】高寺 人生変えてくれた恩師からの助言 プロ入りで恩返し

[ 2020年12月25日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 7位・高寺望夢内野手(上)

生後1ヵ月の高寺望夢(提供写真)
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 中学時代に出会った一人の体育教師が望夢の人生を大きく変えた。「野球以外のこともやるようになりました。お世話になりました」

 真田中2、3年生で担任だった小山修先生は振り返る。「1年生の時はちょっと落ち着きのないところもあって…。体育で運動能力を見て、すごいものを持っているし、野球をやるからにはピシッとさせたいのがあった」。厳しい言葉が13歳の心に突き刺さった。

 野球部の顧問を務めるからこそ気に掛けていた。中学1年の3学期。体育の授業中に呼び出した。「野球にもつながるから、他のところも一生懸命やるような人間になりなさい」。外部チームに所属しており、部員ではなかったが、一人の人間、一人の男として成長してほしかった。

 望夢は変わった。中学3年の合唱コンクールでは指揮者に立候補。クラスメートをまとめ、最優秀賞を受賞するリーダーシップを発揮した。文化祭では英語のスピーチコンテストの盛り上げ役も務めた。クラスメートからは「のぞ」と呼ばれ親しまれた。「2年くらい前の彼ではそんなことは考えられなかった。クラスのいじられやすい子を守ってくれる」(小山先生)。そんな正義感の強い一面も持ち合わせている。

 母・智江さんも変化を感じ取っていた。「野球のことを理解してくれている担任の先生との出会いが変えてくれたかなと思う」。生活すべてで大人になっていった。

 運動能力は当時からずば抜けていた。当時、50メートルを6秒2で走るスピードの持ち主だったが、ハードル走でも同等のタイムを計測した。高跳びでは、自分の身長とさほど変わらない1メートル75を軽々跳び越えた。グラウンドで運動靴での数値に小山先生もセンスを感じ取っていた。バレーをすればスパイクを打ち、バスケはバスケ部よりもうまいなど、他の球技も難なくこなした。

 プロ入りは恩師への恩返しだ。小山先生には2つの夢があり、1つは「教え子が甲子園に行くこと」。これはすでにかつての教え子が達成している。そして、もう1つは「教え子がプロ野球選手になること」。野球の教え子ではないが、担任した生徒がプロ野球選手になった。「違う意味で夢がかなった。忘れられない、すごいことですね」。

 ドラフト会議の後日、望夢が中学校を訪れた際には抱き合って喜びをかみしめた。「体が強いと思いますし、野球は体が基本なので。故障せずにいければ(プロの世界でも)通用する選手になってくれると思います」。恩師のひいき目では決してない。それだけの可能性を秘めている。(須田 麻祐子)

 ◆高寺 望夢(たかてら・のぞむ)2002年(平14)10月17日生まれ、長野県上田市出身の18歳。小1から上田リトルで野球を始め、中学では上田シニアに所属。上田西では1年春からベンチ入り。2年夏、3年夏と長野県大会4強で、甲子園出場なし。高校通算31本塁打。50メートル走6秒0、遠投110メートル。1メートル78、75キロ。右投げ左打ち。

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